2010年12月5日(日) イエス・キリストの系図

おはようございます。山下正雄です。
12月になりました。キリスト教会の暦では、クリスマスの日までのこの時期をアドベントと呼んでいます。耳慣れない言葉かもしれません。あるいはクリスマス用品を売っているお店で、アドベントカレンダーという名の商品を見かけたことがあるかもしれません。
アドベントとは「やって来る」という意味のラテン語から来た言葉です。イエス・キリストがやって来ることを待ち望む期間です。それはクリスマスを迎える心の準備をする期間という意味でもありますが、やがて世の終わりのときにやってく来るキリストを迎える心を、あらめて整える期間でもあります。

さて、最初にイエス・キリストがこの世にやって来られたのは、今からおよそ2000年前のことでした。まことの神であられるお方が、人間の赤ん坊として、母マリアを通してこの世に誕生したのです。その救い主イエス・キリストの誕生を記念して祝うのがクリスマスです。
といっても、ほとんどの人にとってあまりピンと来ないことかもしれません。イエス・キリストよりも前の時代にも、イエス・キリストと同じ時代にも、そして、イエス・キリストよりも後の時代にも、たくさんの赤ん坊がこの世に誕生しているからです。そのたくさんの子供の誕生の中から、なぜキリスト教会は、他の誰でもない、このイエスと呼ばれる赤ん坊だけを救い主であると主張するのでしょうか。いえ、この問いですら、ほとんどの人にとっては関心のないどうでもよいことかもしれません。

さて、新約聖書の一番最初に置かれている書物、マタイによる福音書の冒頭には、いきなり長い系図が置かれています。アブラハムから始まりイエスキリストに至るまでの千数百年にわたる系図です。初めてこの個所を読む人にとっては40何人も登場する片仮名の名前にうんざりとしてしまうかもしれません。それも無理はありません。聞いたこともない人の名前をいきなり40人も紹介されても、頭の中を素通りしてしまうだけです。
しかし、聖書に慣れ親しんできたユダヤ人にとっては、そうではありません。そこに名前が上がっている人たちは、自分たちの歴史に深くかかわりを持った人々だからです。千数百年前にアブラハムに約束された神の言葉が、連綿と受け継がれて、今やイエス・キリストにその約束の成就を見ようとしているからです。しかも、アブラハムからイエス・キリストまでの歴史は、イスラエル民族の興亡の歴史でもありました。それは単に国の興亡の歴史というばかりではなく、人間の罪に直接関ってきた神の救いの歴史でもあります。
マタイによる福音書は系図を書きしるすことで、イエス・キリストの系図上の正当性を示そうとしているだけではありません。それらの人々の歴史の背後にある神の救いの歴史を思い起こさせようとしているのです。

イエス・キリストの誕生は単なる神話物語ではありません。神が人間の罪の歴史に介入して、人間を救おうとする、壮大な救いの歴史の終着点なのです。イエス・キリストにあって初めて救いのは業が成し遂げられ、救いの完成へと導かれるのです。マタイによる福音書の冒頭におかれた系図は、そのことを指し示しています。
けれども、そのような壮大な救いの歴史は、決してわたしたちと無関係な、どこか遠くの世界で起こったことではありません。イエス・キリストはご自分がやって来られたご自分の使命をこうおっしゃっています。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:2-13)