2011年8月14日(日) 招かれたその時に

 おはようございます。高知教会の久保浩文です。

 あなたは「クリスチャン」または「キリスト者」という言葉を聞いて、どのようなイメージを持っていらっしゃるでしょうか。「清い人」、「品行方正な人達」というようなイメージでしょうか。教会にお誘いしても、「いや、私はとてもとてもクリスチャンなんて…」とおっしゃる方がおられますが、しかし、ご心配には及びません。すでにキリスト教の信仰を持ち、クリスチャンと呼ばれているこの私も、他の人たちも、みな同じなのです。

 イエス・キリストの弟子とされた十二人の者たちも、弟子とされる前は十人十色、生まれた場所も育った環境も異なり、職業も、一部を除いては、バラバラの人たちでした。イエスはご自分の弟子にしようとする者を、ありとあらゆる環境の中から選ばれたのです。その十二弟子の一人にシモン・ペトロという人がいます。この人はイエスの弟子とされる前は、兄弟のアンデレとともにガリラヤ湖で漁師をしていました。ペトロとイエスとの出会いも、人間の目からすると全くの偶然の出来事のようでした。

 ある時、イエスがガリラヤ湖に立っていると、神の言を聞こうとしてどこからともなく群衆が集まってきました。大勢の群衆がひしめきあう騒ぎをよそに、ペトロはひたすら自分の仕事に没頭していました。実は夜通し漁をしたにもかかわらず、何も取れずに空っぽの舟で戻ってきたところでした。疲れた体で次の漁のために網を洗っていたのです。そこへイエスがやってきて舟を出してくれと言われたのです。イエスはペトロの舟に乗って、岸から少し離れた所から群衆に向かって話をされました。この時、ペトロがイエスの話に関心をもって耳を傾けたかどうかはわかりません。おそらく彼の耳にはイエスの語られる神の言は半分も入っていなかったことでしょう。この時のペトロは、神の言を聞くことよりも、次の漁のこと、明日の生活のことで頭がいっぱいだったに違いありません。

 しかし、話を終えられたイエスは、ペトロに突如意外なことを言われました。「沖に漕ぎ出して網を下ろし、漁をしなさい」(ルカ5:4)。この言葉にペトロは寝耳に水というか、ある種の怒りにも似た思いが生じてきたのではないかと思います。ペトロにしてみれば、自分は長年この湖で漁をしてきた熟練の漁師であって、しかも、その自分が一晩中漁をしても何も獲れなかったというのに、全くの素人といっていい、イエスに網を下せと言われたのですから。しかしペトロは、「お言葉ですから、網を下ろしてみましょう」と命じられるままに網を下ろしました。すると意外にも、網が破れそうになるほどの大漁であったのです。この時はじめてペトロは、自分の目の前におられる御方がただならぬ御方であること、自分が近くにいることさえも恐れ多い御方であることに気付きました。ペトロは「主よ、わたしから離れて下さい。わたしは罪深い者なのです」と叫ばずにはいられませんでした。

 しかしイエスは、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と言われました。この言葉はペトロがイエスの弟子として召された言葉であると同時に、彼のこれまでの神に対する無関心、罪の赦しを意味しています。この一言によってシモン・ペトロの人生は、イエス・キリストとともに歩む人生へと変えられたのです。

 イエス・キリストは今日もあらゆるところで人々をご自分のもとへと招かれています。次に招かれるのは、あなたかもしれません。