2011年12月11日(日) 93年間絶えることなく伝えられた福音

 お早うございます。南与力町教会の安部順子です。

 2011年も早いもので、後20日になりましたが、忘れることが出来ないのは、1000年に一度の東日本大震災で被災した方々の苦しみと悲しみです。神様からのお助けと導きがありますようにお祈りいたします。

 今日は、最初に南与力町教会につながる上ノ加江集会について、お話したいと思います。数年前から、上ノ加江集会発足が1918年という教会年報の記載がとても気になっていました。どのようにして、90年以上前にキリスト教が土佐の小さな村に伝えられたか、知りたいと思っていました。

 中土佐町上ノ加江は魚介類が獲れる港もあり、住んでみたい町の一つです。江戸時代、安政の大地震では津波に襲われ、村じゅう一戸残らず流失したと古文書に書かれています。その後、復興に尽力したのが利岡清左右衛門といわれています。このかたのお孫さんの利岡中和が1904年に大阪でキリスト教信者となり、1918年から上ノ加江でキリスト教伝道を始めました。中和は、とても興味深い信仰者です。陸軍経理学校出身の軍人でしたが、キリスト教信仰を守るため、脱サラして東京でお汁粉屋さんを始めたりしています。上ノ加江では、その後、中和さんの友人の大橋英一牧師、そして教会員によって伝道が続けられ、第二次世界大戦後は橋本亘牧師が奉仕するようになりました。現在は山村貴司牧師が出張奉仕され、4名の姉妹が集っておられます。

 先日、上ノ加江集会所として、ご自宅を開放してくださっている浜田佐月さんを訪問することができました。11年前に召天された夫さま、藤雄さんの書斎で利岡中和や上ノ加江集会の資料を調べさせていただきました。歴史を感じる教会報などが残されていて驚きました。お借りした藤雄さんのマイノートには、集会での礼拝記録と共に多くの聖句が記されていました。浜田家がまことの神様を信じて、堅実に生きてこられた様子がうかがえました。古い風習の残る地で、93年間絶えることなく伝えられたキリスト教は、間違いなく真理であり、救いだと確信できます。

 わたしたちは、順調に生活できているときは、自分の努力や能力で生きていけると錯覚します。しかし、様々な試練や問題にぶつかったとき、自分の無力さ弱さに打ちのめされ落ち込みます。そのとき、造り主の存在に気づかされ、救いを求めます。救い主イエス・キリストは、わたしたちがどんな境遇であってもいつも横に居てくださり、励まし支えてくださいます。我が儘で高慢なわたしも、清和学園での恵まれた3年間、そして、42年の信仰生活のなかで少しずつ分からせていただいているように感じます。

 わたしたちの救い主イエス・キリストの誕生をお祝いするクリスマスが訪れようとしています。町中がイルミネーションで美しく飾られ、クリスマスソングが流れています。何か、浮き浮きしますね。子どもたちはサンタさんからのクリスマスプレゼントを心待ちにしています。クリスマスへの感謝は、罪から救われた感謝、喜びです。皆さんも救われて、その喜びの感謝をクリスマスの感謝として下さい。神様からの最大のプレゼントは、救い主イエス・キリストです。