2011年12月25日(日) 飼い葉桶の中の救い主

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカによる福音書2章11-12節)

 おはようございます。山田教会の牧田吉和です。今日は12月25日、イエス・キリストの御降誕を覚えるクリスマスです。
 クリスマスおめでとうございます。

 クリスマスには、クリスマスカラーがあちこちで用いられます。クリスマスカラーには、永遠の命を表す緑。キリストの純潔を表す白。王であるキリストを表す金や銀。そして、ポインセチアなどに見られる赤。赤は流された血の色です。今朝は、クリスマスカラーの赤が象徴する「血」について、お話をしたいと思います。

 クリスマスと言えば、どなたもロマンチックな思いを抱かれることでしょう。クリスマスカードには、東方の博士たちが星に導かれて旅をし、幼な子キリストの前でひざまずき、宝の箱を開けて捧げものをしている場面も出てきます。しかし、聖書が描くこのような場面も、実は「生々しい血でいろどられた世界」だったのです。
 イエス・キリストはヘロデ王の時代にベツレヘムに誕生されました。ヘロデ王は残忍で殺意に満ちた王として有名でした。東方の博士たちが、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」。こう話しているのをヘロデ王は耳にします。これを聞いた王は猜疑心に駆られ、ベツレヘムとその近辺の2歳以下の男の子を皆殺しにするのです。ロマンチックどころか、血の匂いがこちらまで伝わってくるような世界がここにはあるのです。

 クリスマスカラーの赤は言うまでもなく、ヘロデが流した血の色ではありません。クリスマスカラーの赤はイエス・キリストの十字架で流された血の色です。先ほど読んでいただいた聖書の言葉に、御使いが「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子をみつけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と告げた事実が記されていました。幼な子イエスが飼い葉桶に荒布にくるまれて寝ている姿が“しるし”だというのです。一体、何のしるしだというのでしょうか。それは、飼い葉桶に眠るその貧しい姿が十字架の苦難とその死を指し示すしるしでした。

 事実、イエス・キリストは十字架の死を遂げられました。イエス・キリストの十字架の血潮は、ヘロデが流した血とは全く別の香りを放つものでした。ヘロデの血は猜疑心に満ちた、自分の栄光と自分の権力を守るために幼な子を抹殺する血の匂い、罪の血の匂いを放つものでした。しかし、イエス・キリストの十字架の血潮は、わたしたち罪人のために、わたしたちを救うために、御自分の命を捧げてくださった犠牲の血潮です。

 かつて、マザー・テレサは「本当の意味で愛するということは、傷つくということなのです」と語りましたが、その究極の姿が十字架の犠牲の死です。聖書のヨハネの手紙一 3章16節はこのように語っています。「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました」。ですから、イエス・キリストの十字架の犠牲の血の香りは“愛の香り”なのです。

 クリスチャンたちが大切にしてきたクリスマスカラーの赤とは、十字架に示されたこの神の愛と結びついた赤なのです。あの飼い葉桶の幼な子をわたしたちが救い主として受け入れるということは、ヘロデの世界に分れを告げることを意味しています。血で血を洗う憎しみと猜疑心の道ではなく、キリストが示してくださった愛の道を歩むことです。キリストを仰ぎつつ、自らの罪も赦され、また人をも赦し、和らぎの中に生き、喜んで犠牲を払って、人に仕える道を歩むことなのです。