2014年2月2日(日) 主イエスと出会った人々〜ナインのやもめの場合

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 イエス・キリストが地上を歩まれた30数年の間に、数多くの人が主イエス・キリストと出会いました。特に主が洗礼をお受けになってから、十字架にかけられるまでの数年間、神の国の福音を宣べ伝えるキリストのもとには、噂を聞きつけて遠くからやってくる人たちもいました。
 しかし、誰もがキリストのもとに自由にやって来ることができたというわけではありません。噂を耳にしても、来ることができない人たちはいっぱいいました。
 それは今の時代でもそうです。教会に行きたいと思っても、様々な事情があって教会に来ることができない方たちがいることを、わたしは知っています。

 さて、きょう取り上げようとしている人物は、ナインという町で暮らしていた一人の女性の話です。残念ながらその名前は知られていません。ただ分かっていることは、その人は夫に先立たれて、やもめであったということです。そして、たった一人の息子とともにこのナインの町で暮らしていました。
 子供の年齢が何歳であったのかは分かりません。聖書の記事には「若者」と呼ばれる年頃であったことが記されています。家庭の経済を支えるほどの年齢にやっと育ちあがった頃でしょうか。夫に先立たれたこの子の母親にとっては、これからが楽しみであったはずです。この子が結婚して家庭を築き、子宝にも恵まれて、やっと悲しかった自分の人生にも、光が差し込む兆しが見えてきた、そんなときでした。
 このふたり暮らしの家庭に、突然の不幸が降りかかります。この期待の息子が亡くなってしまったのです。この母親にとっては、愛する夫に先立たれ、その上息子にも先立たれたのですから、この先どう生きていけばよいのか真っ暗な思いだったことでしょう。葬儀の時には、大勢の人がこの母親のそばに付き添っていた、と記されているところを見ても、この小さな町にとっても悲しい出来事だったにちがいありません。
 イエス・キリストはちょうどこの息子の棺が担ぎ出されようとしたときに、この町を訪れます。キリストはこの母親を見て憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と声を掛けられます。

 何よりもまず、イエス・キリストは人の悲しみを深く心にとめてくださるお方です。もちろん、その場に居合わせた誰もが、この母親と悲しみを共にして、少しでも励ましたいと願っていたに違いありません。イエス・キリストもその人間の思いを共にしてくださるお方です。
 それと同時に、キリストには悲しみを取り去る力がありました。「もう泣かなくてもよい」とおっしゃるキリストの言葉は、ただの励ましの言葉ではありません。死んだ者をも生き返らせる力を持ったお方です。キリストは奇跡の力をもってこの若者を死から呼び戻します。
 もちろん、そう聞いただけで、今のわたしたちは馬鹿らしいと感じて興ざめしてしまうかもしれません。実際、その場で事件を目撃したわけではありませんから、そう思うのは当然です。しかし、その場に居合わせた人々はこの出来事を通して、何を一番に感じ取ったのでしょうか。人々の声はこうでした。
 「神はその民を心にかけてくださった」(ルカ7:16)
 人生には神などいないと思えることがたくさん起こります。しかし、キリストと出会うとき、まことの神の存在を最も身近に感じることができるのです。
 ナインの町のこのやもめは、キリストと出会うことで、自分に心をかけてくださる神の存在をはっきりと知ることが出来たのでした。