2014年10月19日(日) ホサナ:主よ、救ってください

 おはようございます。京都府八幡市にある男山教会の宮武輝彦です。
 今月は、神さまの救いの働きを覚える、四つの言葉を紹介しています。「ハレルヤ」、主をほめたたえよ、「シャローム」、主の平和があるように、に続いて、今日は、「ホサナ」、「主よ、救ってください」です。

 新約聖書、マタイによる福音書21章には、イエス・キリストがエルサレムの神殿を目指して入られるときの様子がこのように伝えられています。
 「大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。』」と(8、9節)。

 このとき、イエス・キリストは、小さなろばに乗って、エルサレムに入って来ました。そして、エルサレム神殿の境内に入ると、そこで商売をしていた人々に、「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである」と言い、その人々を、神殿から追い出されました(13節)。また、「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされ」ました(14節)。
 そして、神殿の境内で子供たちも、イエス・キリストに向かって、「ダビデの子にホサナ」と叫んでいいました(15節)。この人々と子供たちの賛美の声こそ、「ダビデの子にホサナ」、つまり、「この神殿の本当の父の子、本当の神様、本当の王様こそ、イエス・キリストだ。この御方に、救いを求めよう。」と賛美の声をあげたのです。
 しかしながら、このときイエスをほめたたえた人ばかりではありませんでした。「祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言うのを聞いて腹を立て、」(15節)イエスに言いました。「子供たちが何と言っているか、聞こえるか。」(16節)と。
 しかし、イエスは「『聞こえる。あなたたちこそ、幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉を読んだことがないのか。」(16節)と問い返され、この出来事が、聖書の詩編8編にある神さまの言葉の実現であることを伝えました。

 キリスト教会の日曜学校で歌う「こどもさんびか(48番)」に、こどもをまねく、という讃美歌があります。その歌詞は、「こどもをまねくとも(友)はどなた こどものすきなイエスさまよ ホサナとうたえ ホサナとうたえ こどものすきなイエスさまを」「こどもをまねくおう(王)はどなた こどもをまもるイエスさまよ ホサナとうたえ ホサナとうたえ こどものすきなイエスさまを」「こどもをまねくかみ(神)はどなた こどもをすくうイエスさまよ ホサナとうたえ ホサナとうたえ こどものすきなイエスさまを」と、こどもたちに、本当の「友」「王」「神」はどなた、とやさしく問いかけつつ、子どもたちを、救い主イエスさまのもとに招きます。
 イエス・キリストがお生まれになったその日にも、すでに、この「ホサナ」との賛美の声は、天のみ使いたちによって歌われました。「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」と。(ルカによる福音書2章14節)。
 それは、布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子こそ、わたしたちのために生まれた救い主、この方こそキリスト、まことの王であることを告げる賛美であったからです。
 今日、イエス・キリストこそ、わたしたちの「友」「王」「神」であることを知るとき、どのような境遇に置かれていても、そこで、「ホサナ」「主よ、どうそ、このわたしを救ってください」と、救いの声を上げることができます。