2014年11月23日(日) のろいと憐れみ

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。

 旧約聖書の『創世記』には「失楽園」の話が出てきます。罪を犯して堕落したアダムとエバを、神がエデンの園から追放する話です。実はこの話、日本で最初に演じられた西洋劇だといわれています。1560年、豊後府内、現在の大分市ですが、そこにあったカトリック教会で降誕祭のとき、この劇が演じられたそうです。

 その様子を伝えるイエズス会修道士の手紙によると、降誕祭は喜びの日であるにもかかわらず、アダムの堕落に大人も子供も泣かない者はなく、楽園追放の場面では、観客はさらに大きな泣き声になったと伝えられています。

 それはさておくとして、この人類の堕落と楽園の追放の記事には「呪い」というキーワードが出てきます。それで一般的にこの記事から、罪を犯して堕落した人間を、神は呪われたのだ、と思われるようになりました。確かに「呪われるものとなった」という表現がこの個所には二度繰り返し出てきます。

 しかし、よくよく読んでみると、「女は呪われるものとなった」、とか、「男は呪われるものとなった」、とか、書かれていません。呪われるものとなったのは、女を誘惑した蛇であり、産物を生み出す土地です。決して神は直接人間を呪ったりはしていません。これは些細なことかもしれませんが、大きな違いです。堕落する人間に対する神の憐みを、ここに見て取ることができます。

 また、この個所には「苦しみ」という言葉がキーワードのように出てきます。女は苦しんで子を産み、男は生涯食べ物を得ようと苦しむ、と言われています。これこそ、神が堕落した人間を呪った証拠だと考えられがちです。確かに罪を犯す前の人間には、子どもを産むことの「苦しみ」も労働することの「苦しみ」も、経験のないことでした。そういう意味では、堕落前の人間が味わっていた幸福な世界とは明らかに違っています。

 しかし、よく考えてみると、神が人間に与えられた最初の祝福を、神は完全に取り消してはいません。神はお造りになった人間を祝福してこうおっしゃいました。

 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」

 堕落後の人間に対して神は、「もう、女は子供を産めなくなれ」とはおっしゃいませんし、「男は大地を支配できなくなって、飢え死んでしまえ」ともおっしゃいません。神は依然として人が増え広がり、地に満ちて地を従わせる祝福を与え続けてくださっています。

 確かに「女は苦しんで子を産む」と言われています。しかしこれを、この時から女には陣痛の痛みが与えられたのだ、と勘違いしてはなりません。聖書は「はらみの苦しみを大いに増す」と語っているのではなく、正確には「はらみと苦しみとを大いに増す」と語っているのです。つまり、人間が創造された時、神が与えた「産めよ、増えよ」という祝福の実現を、一方では大きなものにしてくださるのです。しかし、罪の入り込んだ世界では、同時に苦しみも増大することも覚悟しなければなりません。その苦しみとは、陣痛のことではありません。「女は男を求めるのに、男は女を支配する」という関係からくる苦しみです。本来なら男も女も神のかたちに造られた平等の存在であり、女は男にとってふさわしい助け手であるはずの関係が、支配する者と支配される者の関係に成り下がってしまったということです。

 しかし、こうした罪の結果の苦しみも、やがてはその女の末裔から救い主キリストが生まれるのです。神は罪の苦しみの中にも、確かな希望を与えてくださるお方です。