2014年12月28日(日) 私を導いてくれた聖書

 おはようございます。南与力町教会会員、田村悦子(よしこ)と申します。
 今朝は、私が40歳代で神様と出会い、その後主人の転勤毎に教会に恵まれ、現在に至るまで信仰生活が守られている恵みをお話させて頂きます。

 私が生まれ育ったのは、伊野町枝川で、合併前は宇治村という高知市に隣接した田舎でした。高校生になって市内の県立高校に通いだし、そこで初めて新約聖書という書物を知りました。その聖書には、ギデオン協会贈と印刷されていて、男性の方が校門の入口で手渡してくれたものです。
 
 わたしの生家は仏教で、平素は無宗教的な暮らしでしたので、クリスマスもイースターも知りません。まして聖書は見たこともありませんでした。その聖書を頂いてからクラスの友人に教会へ誘われ、初めてグランド前にある教会へ行きました。そこで讃美歌と説教を聞き、心が洗われたような気持ちになったことを覚えています。その後、何度か教会へ誘ってくれましたが、その折には神様に会うまでには至りませんでした。
 
 高校卒業後、就職、結婚し、主人の転勤で田辺、大阪を経て、私が40歳代の時、主人が高知勤務となりました。
 長男高二、長女小学三年生で、子育てからも少し手が離れ、自分を見つめ直す時間が出来た時、私は何のために生きているのか、このままの生活でいいのかと、心に平安がない不安な毎日でした。ふと、高校時代の友人に教会のことを尋ねると、わたしの行っている教会に来ませんかと誘ってくださり、長女は日曜学校に、私は礼拝へと通い出しました。
 山下牧師はマルコによる福音書をわかりやすく話され、わたしの心にすっと御言葉が入り、南与力町教会で求道者となりました。

 その後主人の勤務が神戸となり、恵泉教会へ長女と共に出席するようになりました。そして私は、1984年のクリスマスに洗礼を受けました。その折、私を導いてくれた聖書の御言葉は、ヨハネ3章16節で、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。」のメッセージでした。私が生かされているのは自分の思いや努力ではなく、イエス様を信じる者が永遠の命に生かされるためであると神様の愛の深さを悟り決心いたしました。

 主人はクリスチャンではありませんが理解があり、その後長女も高校生になって受洗し、今では同じ教会でオルガニストの一員としてご奉仕させてもらっています。
 主人の退職後は佐川町に住んでいます。振り返ってみますと、主人の行く先々で教会に恵まれ、そこで暖かい交わりに入れて頂き、今日まで平穏に教会生活を送れてこられたことに神様の恵みを感じます。

 かつて内気だった私が、今地域の方々と共にボランティアやコーラスを楽しみ、73歳の今も一時間半かけてでも礼拝出席できることは本当に感謝です。人生の終末へと向かう今、かたくなだったわたしの心を、人をゆるすこと、分けへだてをしないこと等、未熟ながらも変えていってくださることに心の平安を覚えます。少し落ち込みそうな時には、イザヤ書のことば「わたしの目にあなたは値高く、貴く わたしはあなたを愛し」(43:4)を思いおこし、私達一人ひとりにいつも愛を注いでくださっている神様に祈ります。
 イエス様は今日も私達を愛してくださっていることを深く覚えるこの頃です。