2015年7月12日(日) 命のパン

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。けさのお目覚めはいかがだったでしょうか。一週間の仕事の疲れが抜けない、という方も多いのではないでしょうか。日曜日のきょうも仕事だ、という方もいらっしゃるでしょう。そんな中で、早起きしてラジオを聴いて下さって、本当に感謝です。

 私たちは日ごとの生活の糧を得るために労苦しています。精神的にも肉体的にも疲労困憊してしまい、ついには「自分は果たして何のために労苦しなければならないのだろうか」とため息をつくこともあるのではないでしょうか。

 イエス・キリストは、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である」と言われました(ヨハネ6:27)。
 私たちが日々労苦して得ているのは、朽ちる食べ物であり、一時的な飢え渇きを満たすことができても、時間とともにまた空腹が襲ってくるものです。そのことのためだけにあくせくと働くことの繰り返しであれば、私たちの人生はなんと空しく儚いことでしょう。

 イエスは、私たちに朽ちる食べ物ではなく、永遠の命に至る食べ物のために働くように言われました。これは、いわゆる肉の糧ではなく、朽ちない霊の食物を求めるように、イエスが与えようとしている永遠の命を求めなさいと言われているのです。
 永遠の命とは、私たちが今、生かされている地上の命が永久に続く、といった時間的延長という形での命の継続ではありません。
 イエスは、「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17:3)とも言われました。

 私たち人間をはじめとする全てのものの源であられる神とイエス・キリストを知ること、つまり、神と御子イエス・キリストを信じること、人格的な交わりの中に入ることを通して知ることが永遠の命であるということです。

 神を知る、イエス・キリストを知るということは、知識として知ることだけにとどまりません。ある意味、神とイエス・キリストと私たちが一体となって、私たちが神を知るというより、神によって知られている、見られている存在、私たちがどこにいこうと、いついかなる時も、神とイエスは、私たちの傍らにおられること、愛されていることを知ることです。

 たとえ、私たちのこの地上の肉体が日々衰え、弱さを覚える年齢になっても、神とキリストによって捉えられ、神の命によって生かされている時、私たちの心と魂は、むしろ日々神によって新しくされ、強められて、神のいます御国に入るのにふさわしいものへと造り替えられるのです。

 イエス・キリストは「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」とも言われました(ヨハネ6:51)。
 イエス・キリストこそ私たちに真の命、永遠の命を与えて下さる真の生けるパンなのです。肉体に肉の糧が必要なように、心と魂にも霊の糧としてのイエス・キリストが必要なのです。

 イエス・キリストは、私たち人間の罪の身代わりとして死んで復活してくださいました。命のパンは、永遠に死ぬことのない復活のイエス・キリストその方であり、ご自分を信じる者にも、復活と永遠の命の恵みを与えることのできる御方です。
 教会は、この恵みに共にあずかる者の集まりです。あなたのお越しをお待ちしています。