2015年8月2日(日) 福音は神の力である

 おはようございます。新居浜教会の西田三郎です。
 聖書には次のような言葉があります。「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ローマ1章16節)

 キリスト教には「福音」という言葉があります。幸福の福に、便りを意味する音信の音と書きます。「ふくおん」と読んでしまいそうですが、「ふくいん」と読みます。もともとは中国語の聖書の言葉で、「良いニュース」という意味です。

 では「福音」とはなんでしょうか。この問いに対する答えは、今ご紹介したパウロの言葉の中にあります。パウロはキリスト教の初めの頃の伝道者で、キリスト教会の発展の基礎を据えた人です。新約聖書のいくつかの手紙もパウロが書きました。

 パウロによれば「福音」の内容は、キリストの十字架と復活という神様の愛から出た出来事です。そして、「福音」にはこれを言葉で伝えるという働きが含まれています。それが良いニュースでも言葉で語られなければニュースにはならないからです。

 また、このニュースの言葉は、ラジオやテレビのニュースのように、単に情報を伝える言葉ではありません。これはニュースという以上に、メッセージと言い換えてもよいと思います。これは伝える人の人格から聴く人の人格に語りかけられる、神の愛の言葉です。この福音の言葉は聴く者の人格をまったく変えてしまう力を秘めています。

 ですからパウロは、この福音について「福音は神の力である」と語っています。「神の力」の力という言葉は、ダイナマイトという言葉の語源になった言葉です。力はダイナマイトの爆発力です。人の力にはない力強さがあります。その力は神の力であるからです。まさにダイナマイトです。

 また、この福音の神の力は、「救いに至らせる」という力です。福音の言葉の力は私たちを救い、私たちをつくり変える働きをするのです。福音による救いは、私たちを悲惨な状況に閉じ込めている罪と病気と死の支配から私たちを解放するものです。聖書はそれを「罪の赦し」と呼んでいます。

 また、神の救いは、死に定められている私たちの体を神の栄光にあずかる「霊の体」に造りかえます。聖書はそれを「復活」と呼んでいます。福音の言葉は私たちに「罪の赦し」と「復活」という救いをもたらす神の力です。

 この福音の言葉は信じられているところで、「救いに至らせる神の力」として働きます。神の力は五感によって確かめられる物理的な力ではありません。言葉によって働く霊的な力ですから、福音の言葉を信じる人にだけ働きます。これは磁石と同じです。いくら磁石の磁力が強くても、磁力を受けて動くのは鉄だけです。アルミや木片は動きません。そのように福音の言葉が語られても、その言葉を信じない人には何の変化も起こりません。しかし、それを信じる人には、爆発的な神の力が働きます。福音による神の力は私たちの想像を越える救いの可能性を秘めています。

 パウロは福音の神の力が「すべて」信じる人に働くと語りました。そこにはなんらの差別もありません。今朝、神さまはラジオをお聞きの皆さまを、福音を信じる信仰に招いています。