2015年8月16日(日) 聖書が語る死後の世界

 おはようございます。新居浜教会の西田三郎です。
 聖書には次のような言葉があります。
 「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです」(1テサロニケ5章10節)

 人間は死ねばどうなるのでしょうか。死後の世界はどのような世界でしょうか。これは人類の永遠の疑問です。すべての宗教は何らかの形でこの疑問に答えようとしてきました。しかし、その答えは実にさまざまです。
 また最近では、死後の世界を否定して、人間は死ねばいなくなるだけ、と考える人も多くなりました。そのような題名の書物も書かれています。しかし、このような考え方は最近でてきたもので、人間はその全歴史を通して、死後の世界の存在を確信してきました。そして、この死後の世界という疑問は、人類に普遍的な問題であることには、かわりはありません。

 では、聖書は人類のこの疑問にどのように答えているのでしょうか。死後の問題については、聖書は「死者の復活」というメッセージを語っています。福音はキリストが私たちの罪のために死んでくださったこと、そして、キリストはその死から三日目に復活された出来事を語ります。
 神様はキリストを死者の中から復活させて、聖書の中で約束された、人を救う御業を始められました。それはキリストを信じる人は、たとえ死んでもキリストが復活されたように、霊の体に復活するという約束です。福音を信じる人は、この神の約束により、霊の体への復活を待ち望んで生きています。私たちはこの復活の希望によって救われています。

 しかし、この体の復活は世の終わりの、最終的な約束です。私たちの体がキリストの復活の体と同じような霊の体に復活するときまでは、私たちは死者の世界にいることになります。その世界がどんなものであるか、聖書はほとんど語っていませんが、キリストには、ご自分と一緒に十字架に架けられて、十字架の上で回心した人に語られた言葉があります。
 キリストは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23章43節)と言われました。これは、あなたにはあなたが私と一緒に楽園にいることが分かる、と言われたのです。この言葉は、死後の世界を語る、数少ない聖書の中の一つの言葉です。

 また、最初にご紹介した言葉は、キリスト教の伝道者であったパウロの言葉ですが、「わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」とあります。ここで「目覚めている」とは、地上に生きている、ということです。「眠っている」とは、眠っているのではなく、死んだ私たちが眠っているような平安な死後の世界にいるということです。「主と共に生きるようになる」とありますから、死んだ私には、主が私と共に生きていることが分かる、ということです。

 そのように私たちが死後の世界でもキリストと共にいることができるようになるために、キリストはわたしたちの罪のために十字架で死んでくださいました。このキリストの十字架の死と復活に、私たちの死後の世界についての確信と希望が基づいています。そして、この希望は、死後の世界の後に来る、世の終わりの霊の体への復活という希望に、つながっています。