2015年9月6日(日) 英語、話せますか

 皆さん、ご機嫌いかがですか?私は高知県下でただ一つのミッションスクール、清和女子中・高等学校の校長をしています、黒田朔と申します。ハワイで28年間牧師をして、今ここで働いています。

 ハワイでの出来事ですが、”Can you speak English?””No,I cannot”そんなふうな会話を耳にすることがよくありました。聞いてみると、妙ですよね。中学で3年、高校で3年。もし大学まで行ったとすると、さらに2年。8年英語を習っているわけですから、いくら英語嫌いであっても話せない筈がありません。だから現に、「いいえ、話せません」っていうのはちゃんと英語で”No,I cannot”と言う風に返事をしていらっしゃるわけです。日本人はなかなか、英語が話せても、「話せます」と言うことが苦手ですよね。

 ところが、アメリカ人は違います。「日本語話せますか」と聞けば「話せるよ」。期待をして話してみると「オハヨ、ゴザイマス。スシ、オイシイ」「へっ、それだけ!」。でも彼らは「話せるよ」と言うんです。この落差はいったいどこから来るのでしょう。
 8年間英語を習って、テストを頑張り、良い成績をとっていても、一度も外国人と話したことがない日本人と、日本語を教室で習ったことはなくても、お寿司屋さんで日本人と話して日本語を覚えたアメリカ人との違いです。

 去年の夏、清和学園に3週間カリフォルニアから7人の大学生が来てくれました。チームリーダーのカリさんは、北海道で2年間、英語を教えたそうです。彼女に聞きました。「どう、英語で教えて役に立つと思いますか」「いいえ、あまり役に立たないと思います。日本の生徒はテストのために勉強します。話すためじゃありません。覚えるけども、考えません。書くけれども、話さないんです。先生自身も、話すのに自信がないようです。」次々と飛び出す鋭い指摘でした。

 そんな私達に、カリフォルニアから大学生チームが来てくれました。小学生の為にあるいは中学生の為に、外国人のお兄ちゃん、お姉ちゃんと、英語で遊ぶ楽しい経験を通して、外国人の前に出てもびびらないで、英語好きの子どもが育つように、そんな風に願ったからです。「英語、話せる?」「うん、話せるよ」、そう言える子どもたちが、育ってほしいと思っています。

 教室ではなくて、ゲームや料理をしたり、BBQやキャンプをしたりする中で、はじめ恥ずかしそうにしていた中学生、高校生が、しばらくしてみると、お兄ちゃん、お姉ちゃんと一生懸命、知っている単語を並べて話しています。中には、歳聞いたり、彼女いるかなんて聞いたり、そんなことまでやってます。これ、これ…、知っている単語を並べながら、聞きたいことをちゃんと聞き出している…。これが英語力をつけることだ、と言うふうに思いました。

 私は、伝道も同じだなと思うのです。伝道は研修会で勉強してするものじゃない。むしろ、なかなかゆっくり話すことのできない友だちと、一緒においしいものを食べながら、もう一度仲良くなること。チョッと大変なときに、訪ねていって引越しの手伝いをしてあげること。病気のとき、自分も同じ病気にかかった、その辛い経験を話してあげること。そんな何気ない交わりを通して、心にきっと、温かいものが届く。そしてやがて、「どうして?私のためにこんなことまで?」というふうに、気付いてくれるときに、言ってあげれば良いのです。

 聖書にこんな言葉があります。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。(新改訳・1ヨハネ4:10−11)

 こんな風にして、あなたの心を温めてくださった神様の愛が、友だちの心を温め始める…、それが伝道だと思います。あなたの気になっているあの人に、電話をかけて夕食の約束をしてみたらどうでしょう。きっと嬉しいときが、お持ちになれると思いますよ。
 それじゃまた、この次お会いする時まで、御機嫌よう。さようなら。