2015年11月22日(日) オーガニクス

 おはようございます。清和女子中高等学校、宗教主任の中山仰です。
 最近私たちの清和女子中高等学校では、オーガニクスを学び始めました。オーガニクスとは、在来種を用いた自然農法です。指導者はオーガニクスの権威者のジョン・ムーアさんです。長年にわたって、多くの在来種を手に入れておられます。

 慣れない農作業をして見て、はじめてお百姓さんたちの苦労を少しだけ知りました。同時に、生きた聖書の言葉と出会えました。

 校庭の片隅を耕そうとして、ショベルカーで業者の人に頼んで掘り起こしてもらいました。校庭造成のために必要だったのでしょうか。石ころだらけの荒れ地で農業をするのにはまったくふさわしくない土地でした。やはり校庭の片隅の大木のアメリカ風と呼ばれる楓は、もう何十年もそこに立っていて、多くの落ち葉を下に蓄えています。その腐葉土をその土地にまぜようと思いましたが、その場所も石地で桑やスコップを入れても石にぶち当たりほとんど土がすくえません。

 旧約聖書イザヤ書40章に、「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。(40:3、4)」という言葉がありますが、荒れ地を平らにするということがいかに困難かということを肌で思い知らされました。これまでは、「お百姓さんはよく事情が分かるそうですが」という前置きをして説教させていただいていましたが、これからはそのまま実感を込めて語ることができる、と思います。

 また在来種の麦を播きました。在来種は強いので、播いておくだけで草抜きもせず、水もやらずに放っておいて成長します。とてもたくさん実り収穫できる喜びを味わいました。手間がかからずに喜んでいたのですが、収穫時期になるとその土地が沼地であったこともあり、背の低い麦がたくさんできました。はじめは生徒たちと一緒に一本一本手で抜いていたのですが、とても埒が明かず、機械を借りようということになりました。でも畝をつくっていないので、バインダーという機械も借りたのですが、背丈も低く束にすることができず、使えませんでした。終いには、草刈機で刈って、それを集めて束にしたほうが早いということで、全部刈り込みました。その量の多いことで、またまた聖書の言葉が実感をもって迫って来ました。

 新約聖書マタイによる福音書9章には「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』(9:36〜38)」とあります。

 たった一枚の畑からでも、主なるイエス様は数えきれないほど多くの収穫をもたらされるということを感謝をもって受け止めました。この実感は私にとって小さくない出来事でした。目前の伝道の困難を嘆く前に、主なる神は実に多くの数えきれないほどの人の救いを約束してくださっておられるのですね。実際に麦の刈入れに関して膨大な人数と時間が必要なことを知って、作業としては疲れるのですが、多くの信仰的な収穫をも与えてくださいました。

 現在ほとんどの農家は、F1という一代限りの種を使って多くの収穫をあげています。でも農薬を必要とします。穫れた種からは次の芽がでません。
 ムーア氏は教えてくれました。山を見てごらんなさい。人間が手をかけなくても、全体が調和して多くの緑で覆われています。在来種もたくましく、水をほとんどやらなくても育って行きます。種自体が雨の降る時を知っており、大気中から水分も取り込みます。だから人間はいろいろ手伝わなくてもよい、というのです。

 冒頭でお話した荒れた土地には、コットンの種を播きました。荒れた土地には、コットンや蕎麦が育つそうです。荒れ地が文字通り平らになり、まっすぐになる。これこそ神の恵みでなくてなんでしょうか。

 実に罪深い荒れ放題の私たちの心を、主イエス・キリストが身代わりとなって死んでくださったことによって初めて、私たちの罪が赦されるのですね。
 荒れた石地の地を滑らかに清めるためには、それ以外の方法がなかったのです。そのことをオーガニクスを通して身をもって教えられています。主の御名を心から賛美します。