2016年5月8日(日) 思いを超えた神様のご計画

 おはようございます。高知教会の小澤路華です。
 私には中学生になる娘がいます。娘は中度の知的障害児です。その事に気がついたのは、娘が小学校に入ってからの事でした。その頃は夫の仕事の関係で韓国のソウルに住んでおり、ソウルの日本人学校へ娘は通っていました。海外という事、日本人学校という事で、日本にいれば受けられたかもしれないサポートを受けられない事はあり、また日本人学校でも手を尽くしてよくしていただいていましたが、3年生になる時に難しい状況に置かれる事になりました。

 通常学級では3年生から学習スピードがぐんと上がるために、娘には相当厳しくなる事、十分な専門的ケアが出来ない中で、娘のような児童を受け入れる事は、学校として望ましい形ではなく、娘に対しても申し訳ないこと。それ以外にも取り巻く環境はさらなる厳しさがいくつもありました。

 東北大震災の復興支援の必要のために、全世界にある日本人学校の教員数を減らす決定がなされた事。そんな中娘のために海外の日本人学校へ発達障害児教育の専門教師を招く事は非常に難しい事。学校移転のために学校が現地採用をして娘のための教師を雇う経済的な余裕はない事。
 校長先生は「なんとか頑張っても3年生までです。それでも不十分な環境になってしまうことは教師として本当に申し訳ないのです。専門の先生が来てくだされば本当に良いのですが、その可能性は9割以上ないと思ってください」と仰いました。それでも校長先生は最善を尽くそうと、日本の文部省に専門教師を送って欲しいと働きかけてくださいました。

 状況は八方塞がりでした。どの点から見ても希望はないように思えました。もう本当に頼れるのは神様だけでした。私は毎日思い出しては、「文部省の人事の人に神様ご自身が働きかけてくださいますように」と何度も祈りました。

 3月に入った頃、何かの用事で学校に行った時、校長先生に呼び止められました。
 「小澤さん、ちょっと良いですか」。私は何の話かわかりませんでしたが、そのまま校長室に入りました。先生はそっとドアを閉め、「まだ学校全体には公にしていないことですが、小澤さんには一時でも早くお伝えしたくて。小澤さん凄いことが起きました」と、校長先生はちょっと興奮気味のようでした。その内容は次のようなものでした。新年度に向けて、日本国内で一人だけ発達障害児専門の教師が海外派遣の希望を出したこと。そのような先生が海外に出られるのは非常に稀なこと。そしてその先生が、ソウル日本人学校に新年度から派遣される事が決まったという事でした。

 私は本当にびっくりしました。あんまりびっくりして何と返事をしたら良いのかわからず、あんなに毎日祈ってきた事なのに、「神様、本当にそんな事してくださったのですか?」と思ったら、校長先生の前で涙がポロポロこぼれるのを止められませんでした。
 嬉しかった、もちろんそうでした。でもその時は嬉しさよりも、私の祈りを娘の為に、奇跡のような形で聞いたくださったんだ、と神様の愛と憐れみに感動して、涙が止まりませんでした。

「小澤さん、本当に良かったです。これでこの先最低でも3年間は光ちゃんを安心してこの学校に迎える事ができます」と言う校長先生の目も潤んでいるようでした。
 その先生は仙台から来られる事になっていましたが、震災のため避難所からソウルへ来られました。そしてお会いしてわかった事ですが、その先生は20年以上のキャリアがあり、特に娘のような重度ではない障害児を通常学級に戻していくという仕事をなさっていた方でした。つまり、娘にとって最も相応しい先生が、日本の中でたった一人海外赴任の願いを出し、その方が娘のためにソウルに派遣されるという事になったのでした。

 神様は八方塞がりでどうしようもない状況に見えた、そんな中に確かに私の祈りを聞いてくださり、娘のためにこの先生を選び、送ってくださったのでした。
 この先生との出会いを通して、娘がどれだけ成長し、自尊心が高められ、通常学級の中で今まで以上に大切に扱われ、他の子供たちからも受け入れてもらえるようになったかは言うまでもありません。

 私はこの大きな出来事を神様が確かに娘のためにしてくださったのをこの目で見た時、もうこれ以上娘の進む道を心配する事はないんだ、という確信を持ったのでした。
 人の目には困難で解決もないように見える時でも、神様にはできない事はない、と知ったからです。

 聖書のみ言葉を読んで終わります。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。−主の御告げ−それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう」エレミヤ書29:11-12(新改訳)