2016年7月3日(日) 手のひらに刻み忘れない神

 おはようございます。香川県坂出市で牧師を務める、吉田崇です。
 皆様は百人一首をご存知でしょうか。昔の優れた和歌から100個を選んでまとめたものです。学校で、昔の文章、古文に親しむ為に、百人一首に取り組んでいるところもあると聞きます。最近、百人一首を使ったかるたの早取り競争を描いた、「ちはやふる」という漫画がヒットし、映画にもなるなど、今一度注目が集まっています。

 この百人一首の一つに、こんな和歌があります。
 「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末(すゑ)の松山 波越さじとは」
 末の松山を波が越すことがないほど、確かに約束しあった仲だったのに、約束が破られ、見捨てられてしまって悲しい、という意味だそうです。

 「松山って愛媛県の松山のことですか」と思う方もあるかもしれませんが、そうではありません。東北・宮城県の多賀城市という海沿いの町に、末の松山という小高い丘があります。そこはどれほど大きい波が襲ってきても、波が越していくことはないと、言い伝えられていました。
 実際に、平安時代の西暦869年、東北で大地震が起こり、大きな津波が襲いました。津波は、末の松山のふもとまでは来ましたが、小高い丘とそこに生えた松の木を飲み込むことはなかったと、言い伝えられています。

 それと同じくらい、約束が破られることはあり得ない、と確信して約束を交わしたのに…、という無念さが、この和歌で示されているとのことです。
 あなたをずっと大切にするよ、いつまでもそばにいるよ、と約束はしたものの、そうし続けることがなかなかできない人間の弱さ。それが現代の私たちも、痛感することがあるのではないでしょうか。

 それに対して、神様はどうなのでしょうか。聖書のイザヤ書49章に、天の父なる神様からの御言葉が記されています。
 「シオンは言う。主はわたしを見捨てられた。わたしの主はわたしを忘れられた、と。
 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
 母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
 たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。
 見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻みつける。」(イザヤ49:14-16)

 人間が頭で覚えるだけでは、忘れることもあるかもしれない。神であるわたしは、あなたという大切な存在を手のひらに刻み付けまでして、決して忘れることはない、と神様自ら断言しておられるのです。

 さらには、この熱い愛の心をもって、私たち一人ひとりを滅びから救うために、イエス・キリストを送ってくださいました。天の父なる神様は、はるか昔から、救い主を送ることを約束くださり、今から2000年程前にイエス・キリストを地上にお送りになって、この約束を確かに果たして下さいました。
 神様は、私たちを忘れることなく、愛の約束を必ず果たされることを示してくださったのです。

 皆様が、「あなたを決して忘れない」と約束される天の父なる神様を信じ、揺るぎない支えを得て下さいますように、心から祈り願っています。