2016年7月31日(日) オリンピックと聖書

 おはようございます。香川県坂出市で牧師を務める、吉田崇です。
 ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで間もなくオリンピックが開かれようとしています。このオリンピックは、今から2000年以上前に古代ギリシャで開催されていた競技大会、いわば古代オリンピックを参考に、今から120年前の1896年から開催されているものです。

 古代ギリシャの競技大会は毎年、開催場所を変えながら行なわれたそうです。オリンピアという場所では4年に一度競技大会が開催されていました。現代のオリンピックが4年に一度の開催となっているのも、これに倣ってのことだそうです。
 この他に、イストモスという町でも、2年に一度競技大会が開かれていました。

 このイストモスからほど近いコリントという町にキリスト教会が建てられていました。そこに向けてパウロという伝道者が「コリントの信徒への手紙」を書きました。その中にこんな一節が出てきます。
「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれど、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。」(1コリント9:24-27)

 コリントの近くで行なわれていた古代ギリシャの競技大会を意識しながら書かれています。
 現代オリンピックでは金メダル、銀メダル、銅メダルと3人表彰されますが、古代ギリシャでは「賞を受けるのは一人だけ」でした。この一等賞を目指して、選手は長い時間をかけてトレーニングを積み重ねたのでした。
 パウロはキリストを信じて歩む信仰者を、準備を重ねて試合に出る選手になぞらえながら、継続的に励むよう訴えたのです。

 ところで、古代ギリシャの競技大会では、一等賞として冠がプレゼントされたのですが、この冠はセロリ、松の枝といった植物を編んで作られ、やがては朽ち果ててしまうものでした。けれども地上の生涯で最後までキリストを信仰し続けた者に、神様は朽ち果てることのない永遠の祝福という賞をくださるのです。

 現代のオリンピックに出場できるのは、飛び抜けた成績を持つ一流のアスリートだけですが、キリスト教信仰という名のレースには誰でも参加することができます。
 さらには、ゴールを目指して進む一人一人をイエス・キリストが助け、支えてくださいます。そしてゴールにたどり着きさえすれば、金メダルに勝る栄冠を、神様から授けていただけます。
 番組をお聞きの皆様もこの信仰のレースに参加してくださることを心から願っています。