2016年10月2日(日) 降りていく生き方

 おはようございます。南与力町教会牧師の坂尾連太郎です。今朝はマタイによる福音書18章1節〜4節の御言葉に耳を傾けたいと思います。

 あるとき、弟子たちがイエス様のところに来て尋ねました。「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」。
 弟子たちは自分たちの中で誰が一番偉いかを議論していたのです。
 この弟子たちの姿は、わたしたちに重なるものがあるかもしれません。わたしたちもすぐに他人と自分を比べようとしてしまいます。そして人よりも自分が上に立ちたい、と願うのです。

 今は競争社会だと言われます。学校でも、会社でも、他人よりもよい成績・業績を出すことが求められ、そのことが評価される社会です。勝ち組・負け組という言葉もあります。多くの人が他人と自分を比較し、他人よりも上に立ちたいと願って生きているのではないでしょうか。それは言うならば、「昇っていく生き方」です。わたしたちはどうでしょうか。

 イエス様は弟子たちの質問を聞くと、まず幼い子どもを弟子たちの真ん中に立たせられました。そして言われました。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」。
 この言葉に弟子たちは驚いたことだろうと思います。弟子たちは「天の国で誰が一番偉いか」と尋ねました。すなわち、彼らは自分たちがみんな、天の国に入れるだろうと思っていました。その上で、自分たちの間でのランク付け、優劣を尋ねたのです。しかしイエス様は、弟子たちに対し、「あなたがたはそもそも、心を入れ替えて、子どものようにならなければ、天の国に入ることさえ決してできない」、そう言われたのです。
 心を入れ替えるとは、「向きを変える、方向転換する」ということです。天の国に入るためには、方向転換して、子供のようになる必要がある、そうイエス様は教えられました。

 では「子供のようになる」とはどういうことでしょうか。「子供のように純粋無垢になる、汚れのないものとなる」ということでしょうか。そうではありません。聖書にしたがえば、人間は幼い時から罪がある、心に汚れがあるのです(創世記8:21)。では「子どものようになる」とは、どういう意味でしょうか。
 イエス様は続けて言われました。
「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」。
「自分を低くして、この子供のようになる」とあります。つまり、「子供」はその「低さ」においてわたしたちのお手本なのです。

 当時の社会において、子供は社会的身分の低い存在でした。小さく、無力で、劣った存在だと考えられていました。そのような身分の低い子供のようにならなければ、天の国には入れない、そうイエス様は言われたのです。弟子たちがしていたように、他人と比べて、自分を高めようとすることから方向転換して、むしろ自分を低め、子供のようになろうとする生き方です。
 のぼっていく生き方ではなく、降りていく生き方。それはこの世の価値観とは全く逆の生き方です。しかし、そのようにしてこそ、天の国に入れる。しかも、そのように自分を低くする者こそ、天の国でいちばん偉い、最も偉大なのだとイエス様は言われます。

 それは神様が「高ぶる者を低くされ、へりくだる者を高められる」お方だからです(マタイ23:12)。天の国では、この世のランク付けが逆転するのです。わたしたちはこの世の基準ではなく、天の国の基準に従って生きていく必要があります。人より上に立とうとするのではなく、人より下に立ち、子供のようになろうとする者。そのようなものを神様は高く上げ、ご自分の御国で偉大な者としてくださるのです。