2016年11月20日(日) 恵みの神に導かれて

 おはようございます。山田教会の河渕日出子です。現在86才です。

 13歳の時、両親を亡くし、4歳と9歳の二人の妹と共に、ふるさとを追い立てられるように大阪に出ました。義理の姉から、全財産だと言って与えられた物はすぐ無くなり、働かねばなりません。年齢、学歴は嘘をついて、薬品会社に就職しました。白衣を着て、試験室に入りました。小学校卒の私が、大学出の顔をして働くのです。薬品名は、日本語ではなく、すべてドイツ語でした。

 職場の主任が手紙と一冊の本をくれました。手紙は、ドイツ語の薬品名に仮名をつけて、説明もついています。一冊の本は、「新約聖書」でした。初めて見る本です。
 時間のあるとき読んでいると、「なるほど」と子ども心に感ずる言葉があり、うれしくなりました。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(ルカ11:9)という言葉でした。

 聖書の言葉は、私に生きる力を与えてくれました。「門をたたけ、そうすれば開かれる」という言葉によって、どれだけ励まされたことでしょう。
 親もなく、家もなく、お金も、食べるものもない子供三人の生活は、毎日、空襲警報のサイレンに怖え、ひもじさに震える辛い日々でした。そのような時、「門をたたけ、そうすれば開かれる」という言葉は、前向きに生きる勇気を与えてくれました。

 敗戦となり、運命の糸にキリキリ舞をさせられながら生きるうち、貧しさから本を売り払い、聖書も無くなっていました。

 時は流れて、今から20年前、一人のクリスチャン姉妹との出会いがあり、姉妹に連れられて、生まれて初めて、教会に行きました。
 昼は仕事があり、夕礼拝だけの教会生活でしたが、少しずつ聖書を学び、心の持ち方、へりくだった素直で健康な心、そして愛の大切さを知りました。
 もっと早く、聖書を手にしたあの時に、聖書を学ぶ場が与えられていたならば、私の人生は180度変わっていただろうと、つくづく思いました。
 
 親がなくても、姉妹3人、一文無しから生きてきた忍耐と努力。同時に、自信とうぬぼれが自分の心にあり、結果的には、嫌なしがらみを捨て、裸一貫になり、人間の修羅場を経験しました。
 教会に通い、あらためて聖書を学び、あの時、心底からの愛が私にあったのだろうかと、反省させられ、一度きりの人生を無駄にしたのではないかと振り返り、そのような中で、悔い改めてイエス様を信じて洗礼を受けました。

 先日、世界一貧しいウルグアイのムヒカ大統領のことを知りました。「人生で最も重要なことは、勝利することではなく、転ぶたびに起き上がることです。そして自分の意思を持って生きることです」。また、「物が必要なわけではない。貧乏な人とは少ししか物を持っていないひとではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」。
 自分の人生の経験に照らし合わせて、深く納得しました。新聞やテレビでお見かけした満面の笑顔は、大きな愛にあふれていました。

 私も今では聖書に従って真剣に生きています。イエス様の御言葉を学び、イエス様に愛されて生きています。
 個人的なことですが、今年の2月8日に大腸癌の手術をうけました。ステージ3-Bという末期に近い数値でした。しかし、今は奇跡的に数値が良くなり、薬も注射もなく笑顔で前進しております。神の憐みと恵みとを深く思わされています。
 これからも、主に召されるその時まで、イエス様と共に、イエス様に導かれて歩んでまいりたいと心から願っています。