2016年12月18日(日) さあ、ベツレヘムへ行こう

 おはようございます。新居浜教会の西田三郎です。
 主イエス・キリストはユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。その晩、近くの野原では羊飼いたちが羊の群れの番をしていました。その羊飼いたちに天使が現れて、救い主の誕生を告げました。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。

 そして天使は、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と語りました。天使は羊飼いたちに、乳飲み子が飼い葉桶に寝かされていることがその喜びのしるしである、と告げたのです。

 羊飼いたちは、天使のお告げを聞きましたが、そのお告げを聞いただけで、主イエスに出会ったわけではありません。もしそのお告げを聞き流したり、聞いただけでなにもしなかったとしたら、羊飼いたちは主イエスにお会いすることはできませんでした。

 お告げを聞いた羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と言って立ち上がり、ベツレヘムの町に向かったのです。聖書は「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」と語っています。
 神様から大きな喜びを知らされた羊飼いたちは、今度は自分たちで出かけて行って、その喜びの知らせを確かめたのです。

 このようにして羊飼いたちは、大きな喜びを本当に受け取ることができました。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話してくれたとおりでしたので、神様をあがめ、賛美しながら帰って行きました。天使が告げた大きな喜びの知らせが、このようにして羊飼いたち自身の喜びとなり、賛美となったのです。

 この羊飼いたちの姿は、私たちに大切なことを教えています。つまり、私たちがラジオによってクリスマスの出来事の大きな喜びを告げられたとしても、それだけでは本当にその喜びを自分のものとして受け取ることができない、ということです。
 この喜びに本当にあずかるためには、私たち自身が、自分の日常の生活から主イエスのもとへと出かけて行かなければならないのです。 
 私たちのところに来てくださる主イエスを、私たち自身もお迎えしなければならないのです。クリスマスは神様がその大きな喜びへの招きを私たちに与えてくださる時なのです。

 イエス・キリストは私たちのために一人の乳飲み子となって、ベツレヘムの馬小屋で生まれてくださいました。そして私たちの全ての罪と苦しみとを背負って十字架にかかり、死んでくださいました。
 父なる神様は、その主イエスを3日目に復活させてくださいました。

 父なる神様はひとり子であるイエス・キリストを私たちのために十字架につけてくださったその愛で、私たちを愛してくださっています。イエス・キリストは、私たちに罪の赦しと新しい命と、復活の体という希望を与えてくださいます。またイエス・キリストは、今も生きておられ、私たちといつも共にいてくだいます。
 私たちも羊飼いたちのように、「さあ、ベツレヘムへ行こう」と、主イエスのもとに行くとき、神様が与えてくださるこの大きな喜びを自分のものとして生きることができるのです。