2017年10月1日(日) 神様は人生のナビゲーター

 おはようございます。高知教会の青木美園です。
 先日、かつて高知教会で牧師をしておられた先生が亡くなられ、葬儀に出席するため伊丹に出かけることになりました。高知生まれの高知育ちで、修学旅行と新婚旅行の他はほとんど高知から出たことのない私にとって、旅をすることは新鮮なものでありながら、一方では戸惑うことも多く、楽しみよりも心配や不安の方が先立ってしまいます。まして目的のある旅は尚更のことです。一電車、一バス乗り遅れたり間違えたりすると日程が狂ってしまうばかりか、目的地に着けないことにもなりかねません。

 そこで、岡山にいる妹にナビゲーターになってもらうことにしました。妹は30年以上も岡山に住んでいて、仕事の関係で東京に出かけることもあり、私よりも旅慣れしています。切符を買って広い駅ビルの中を掲示板を見ながら迷うことなく、私を乗るべき電車へと導いていきます。私はただ黙って後をついていくだけです。人生二度目の新幹線にも無事に乗り、ゆとりを持って目的地に着くことができました。

 人の一生も旅にたとえられます。ある人には長く、ある人には短く、見える景色も様々です。多くの人に知られるような人生もあれば、平凡な人生もあります。私は当然ながら後者に属しています。
 若い頃、教会のご婦人から「わたしは平凡に生きていきたい。」と言われ、正直「平凡に?つまらないなぁ。」と思ったことがありました。波乱万丈とまではいかなくても、映画や小説の中の主人公のような変化に富んだドラマチックな人生に憧れていました。学生時代の夢は、考古学者になってハワード・カーターやシュリーマンのように新しい遺跡を発見することでした。

 けれども現実は普通の仕事をして結婚し、子どもを育てて普通のおばさんになりました。あのご婦人が言われたように平凡な人生を生きています。では、そんな自分の人生をつまらないと後悔しているかと聞かれたら、答えは否です。どんな人生を歩んでも神さまが共にいて下さるなら、それは素晴らしい人生です。毎日同じように思える日常であっても昨日と同じ今日はなく、今日と同じ明日もありません。普通のおばさんの人生にも山あり谷あり、照る日もあれば曇る日、嵐の日もありました。皆さんもきっとそうだと思います。平凡であること、毎日が同じであることはつまらないことなどではなく、とても幸いなことなのだと気づかされました。

 初めにお話しした伊丹への旅を迷うことなく導いてくれたのは妹でした。私の人生の旅路を導いてくださるのは神様です。そしてこの人生のナビゲーターは私が倒れこみ沈みそうな時でもいつも共にいて「あなたを背負い助け出す。」と言ってくださるお方です。迷うことも途中で見捨てることも決してなさらない方です。

 今日、私の拙い話に耳を傾けて下さった皆さんが、ご自分の人生に神様をお招きして、共に歩んで下さいますように。明日でも、あさってでもなく、そのうちいつか、またでもなく、今日神さまの招きに応えて下さいますように心からお祈りします。