2018年4月29日(日) あなたは神様に似ている?

 おはようございます!高知県安芸市にあります、芸陽教会の大宮季三です。
 さて、皆さんは「誰かに似ている」、と言われたことがあるでしょうか?私は、中学生ごろから、「お父さんに似ているなぁ。」とよく言われました。また、私は昨年結婚したのですが、結婚式に出てくれた友人たちからも、「お父さんに似ているなぁ。」と言われました。どうやら、私は、声や仕草、性格まで、父親に似ているようです。皆様も、お父さんやお母さんに似ている、あるいは、兄弟や、おじいちゃん、おばあちゃんに似ている、と言われることがあるかもしれません。好きな食べ物や、趣味や特技まで似ることも少なくありません。

 ところで、聖書は、神様が人間を造られた、と教えています。そして、そこで教えられていることは、人間は「神様に似せて造られた。」ということです。つまり、「あなたは神様に似たものとして造られた。」と聖書は記しているのです。
 人間だけが、神に似せて造られた、と聖書は記しています。そして、神に似せて造られた人間にだけ与えられている特権があります。それは神を「知る」ことができる、という特権です。教会は、聖書のこと、神様のことが知れ渡るようにと願っています。家族や友達、近所の方々など多くの人たちが教会に集うことを願っています。

 しかし、教会は動物に対して聖書の話はしません。人の集まるところに行って、教会のチラシを配ることがあっても、動物園に行って、動物に教会のチラシを配ることはしません。鳥や、昆虫、植物に対してもしません。それは、動物や鳥や昆虫や植物には生命があっても、神様を本当の意味で知ることができないからです。神様を正しく知る特権をもっているのが人間です。

 では、神様を「知る」とはどういうことでしょうか?聖書が言っている「知る」とは私たちが普段使っている「知る」という言葉の意味とは少し違います。
 例えば、皆さんは「トランプ大統領を知っていますか?」と聞かれるとなんと答えますか?おそらく多くの方が「知っている」と答えると思います。しかし、聖書の言う「知る」という言葉に当てはめてみますと、ラジオをお聞きの多くの方は、「トランプ大統領を知っている」ことにはなりません。
 聖書の言う「知る」とは、一方的に知っていることではありません。お互いに知っていること、更に互いに深い関係にあることを意味します。つまり、「人間が神様を知る特権を持っている」ということは、「人間だけが、神様と深い深い関係を持つことができる」ということです。

 聖書は、人間だけでなく、この世界自体が、神様が作ったものである、と教えます。神様が言葉を発して、その言葉によって、世界が造られました。世界を作り、人間を作った真の神様は、私たち人間とは比べることのできないほど大きな大きなご存在です。しかし、その神様は、人間と深い関係を持つことを、喜んでくださるお方です。
 神様はあなたを愛し、ご自身の独り子を地上に送り、あなたのために十字架にかかり死ぬことをよしとされました。神様は、この神様の愛をあなたが受け取り、そしてあなたが神様を愛することを望んでおられます。

 教会では毎週日曜日礼拝をしています。教会で捧げられる礼拝は、神様の愛と、神様との深い関係が大いに表される場所、です。どうぞ今日、お近くの教会に行き、神様を礼拝し、神様との深い関係を持つ時間をお過ごしください。
 神様は、あなたという一人の人間を愛して、そして今日、教会であなたと深く関わることを望んでおられます。