2018年7月15日(日) 賢い人生

 おはようございます。平和の君教会の山下です。

 わたしが時々、関心を持って観る番組があります。それは「オイコノミア(日本語で経済学と訳されます)」という番組で、芥川賞作家で芸人の又吉直樹さんと経済学者との対談方式で、社会や人生の問題を経済学の観点から解いていこうとするものです。

 ある時「人生は、運か努力か」とのタイトルがあり、興味深く観ていました。運だけでも、又努力だけでもないことは皆さんもお分かりでしょう。一生ずっと幸運ばかりが続くことはありませんし、じゃあ努力さえしていれば何でもうまくいくかというと、そうではない、報われない時もあります。

 ではどのように受け止めれば良いのか、それは、これまでの人生は運が良かった。もちろん努力もしたでしょうが、それだけではなかったのです。しかしこれからは、やはり努力を積み重ねて行く中で、運も開けてくるのだ、という結論でした。これまでモヤモヤしていたことが、少し整理されたような思いがしました。皆様は如何でしょうか。

 さて今日の箇所は「不正な管理人」と呼ばれているイエス様が弟子達に話されたたとえ話の一部です。山下さんはたとえが好きなのですね、と言われればどう答えて良いのかわかりませんが、どこか推理小説を読み解くのに似ています。実は肝心のたとえのところはお読みしていませんでした。

 そのたとえとは、主人から財産の管理をまかされている一人の管理人がいて、無駄使いをしているとの告げ口があり、主人から解雇を言い渡されます。しかしそこからが彼の本領を発揮し、負債を追っていた人を呼び出して負債額を大幅に減らしてやり、自分の友を作って解雇の時に賢く備えたのです。主人はその管理人の抜け目なさ、熱心、首尾一貫さを誉めたというものです。

 このたとえは、もし道徳的に受け止めればとんでもないお話となり、聖書は犯罪をそそのかす書物となってしまいます。もちろんそうではありません。イエス様は、彼がしたことよりも、そのようにして解雇の日のために出来る限りのことを諮った、そのことをあなたがた弟子達もよく学ぶようにとおっしゃっておられるのです。

 ここではお金が用いられていますが、それだけが言われているのではありません。私たちが人生を歩んでいく中で必要なもの、例えば財産や持ち物もそうですし、才能、賜物もそうですね。最近は人脈作りが脚光を浴びていますが、友を持つことも必要です。

 それらは全て、神様がお持ちのものであって、私たちはそれをゆだねられているに過ぎない、だからそれらを神様のために用いること、何処までも自分勝手にして良いものではないことをゆめゆめ忘れてはなりません。人生の土台を主なる真の神に置いていく、神の愛と導きとが本当になくてならない永遠のものなのです。

 結局、このわたしの人生を生かし、支えるのは神様の愛であり、導きであることを心に深く留めていただきたいのです。人生の土台が、主なる神様ご自身に置かれている、イエス・キリストに置かれている、神の言葉の上にしっかり置かれて歩むことこそが、本当の賢さであり、天のみ国へと私たちを確かに導いていってくれるのです。あなたにもこの恵みと祝福とが豊かにありますように。