2009年11月17日(火)婚活時代

私たち人間には基本的欲求があること、それが満たされることを望んでいること、よくカウンセラーの先生方の講演会などで話されますね。私も何度か聴いたことがあって覚えています。友人、仲間たちの中に居場所を求める欲求や誰かに自分の存在が役立っていることを求める欲求、また、自分で判断して道を選びとれるような自由への欲求、そして、楽しく喜んでいたいという欲求。結婚生活にもこれはいえるのではないでしょうか?

最近は、就職活動ではなく結婚活動、つまり「婚活」という言葉も登場。この言葉は、ちょうど2年前の11月、ある雑誌で取り上げられてからブームになり、本の出版やドラマでますます煽られてきたようです。格差恋愛という言葉も出てきたり、ずいぶん結婚への道も多様化し、変わってきましたね。
リスナーのK君が9月のジョイクリゲストのすみ君へ「幸いな結婚のために…神様を祈り倒すくらい祈らなくては…」と励ましメールをくださいました。
本当にそうです。K君どうも有難うございます。神様の前に跪くことから始まるのですから。ところが私たちクリスチャンの立場はもう時代遅れと思われてしまうような華やかな結婚産業が花盛りです。

今週土曜日、私たちの教会で嬉しい結婚式があります。このカップルは、母親が同じ職場の素敵な女性を息子に紹介したという珍しいケース。花嫁は、職場の先輩としてお母様をとても尊敬していました。とても自然な息子さんとの出会いの中、二人は愛し合うようになりました。真面目な出会いと真剣な祈り、そして誓いの言葉の熱心な学びを重ねついにゴールインの喜びの日を迎えるのです。このように祝福された出会いと結婚がたくさんうまれてほしいですね。

最近、私がインターネット結婚紹介所のHPを幾つか見ながら「ホントにこれでいいのかな?」と疑問を感じた時があったのです。あなたはどんな風に感じていますか?
自分の要求を入力し、年収や身長など細かく決めて選んでいくというシステム。ふと自分がネットオークションの品物のような気がしないだろうか?と思ったのです。ブランド品を買うように結婚相手も選ぶのだろうか?と。ネットの中は、自分の希望にあう相手が何万人もいるという凄い世界のようです。消費社会のスピードが加速すると人間は不安定になると聞いたこともありますが、忍耐強く愛を育むというような時間のかかる姿は歓迎されないような気分になってしまうのです。離婚こそ最高の選択だ、とは悲しいことです。この流れの中、結婚をためらう「おひとりさま」青年たちも増えています。成功談の女性の感想の中に、「こんなに我儘な自分の要求に適った相手がこの紹介所で見つかった」というものがありました。まさに理想そのものの出会いがここにはある、と。でも人生ってそんなに自分の思う通りに生きられるものでしょうか?その中の条件の一つが崩れ去った時どうなるのでしょう?職場を失う、病にかかる、事故が起こった…思いがけない子どもの問題が…と次から次へと何が起こるがわかりません。
結婚は、ひとときだけの楽しいピクニックではありませんから、きちんと考えて大人としてお互いが向き合うことが必要です。男と女の世界を創造された神様(創世記1-2章)のことを知って家庭を築く幸せを是非あなたも知ってください。それは、「トライアングルウエディング」、二人の関係の中心に救い主イエスさまがおられる三角関係です。「原罪」(創世記3章)ある男と女であるお互いが、毎週の礼拝に出て、自分のことばかり考える罪を悲しみ、悔い改めながら新たな一週間を始める家庭生活こそ救いがあります。二人がイエス様を中心とした家庭形成のために結婚の誓約を大切にしていくからです。
あなたも祈りながらの婚活。そこから幸いな結婚へ導かれますように。

もうすぐクリスマスですね。クリスマスイブは、二人がホテルを予約する日ではありません。華やかな宣伝で私たちを誘おうとする誘惑から逃れて、罪からの救い主イエスさまを心から知る本当のクリスマスであってくださいね。  くまだなみこ