2010年7月20日(火)幸いな結婚の要素

先日電話で恋愛相談に応じました。交際を続けようか、やめようか、と悩んでの相談です。恋愛に発展すると感情も盛り上がり「大好き」「いつも逢いたい」と彼のことばかり想ってしまいます。また、親しくなるにつれて「このまま行くと私たちどうなるのか…結婚していないのに男女の関係に進んだらどうしよう」という心配も…。この女性は、以前洗礼をうけたけれど教会には行っていない時期があったとのことで、まずは、毎週の日曜礼拝に、というクリスチャンライフの基本を話し合いました。1時間位話しているうちに「やはり今のままではいけない。」という思いが強いとのことで、別れることにしたいと話されました。私も青春の日々を思い出しましたが「好きなのに別れる」という決断、勇気が要りますね。これからの結婚への願いに神様の導きがありますように心から祈っていきたいですし、いつか直接お話できる機会が与えられますよう願っています。

お話しながら「幸いな結婚」とはいったいどんな結婚かな?とあれこれ思い巡らしました。それぞれ自分なりに大切にしていることがありますし、クリスチャン同士でも生き方や価値観が誰とでもピッタリというわけにもいきません。仕事や子育てのこと、自分の趣味、どんなことに関心が深い二人であるかでその関係は変わってくるでしょう。立派な方だからとお見合いを勧められても「いい人だけれど…」と戸惑うこともあります。

以前ある講演会でカウンセラーの先生に人間の「基本的欲求」についてのお話を聴いたことを思い出します。以前も番組でお話したかもしれません。このことは私が忘れられないお話でしたから。幸福な人、それは、独身であっても結婚していてもこの基本的欲求がバランスよく満たされている人である、とのこと。その欲求とは、自分自身を大切にして価値ある存在と思えるということや愛する友人がいること。自由に選択できる状況にあることや、楽しく生きていると言う喜びの毎日であることなどだったような気がします。確かにどれも必要なことですね。

5月の全国青年会の「恋愛結婚分科会」でも青年たちと「誓いの言葉」を中心に語り合いました。青年時代、成熟したパーソナリティとなれるよう成長していくことの大切さ(このことが基本的欲求と繋がりますね)。また「我がまま」な罪深いアダムとエバなのですから、キリストの救いの恵みをいただいて愛し合い、許しあって家庭を築いていくのでなければ、最初はよくてもやがては悲惨な結果になってしまうかもしれません。「幸いな結婚の誓い」それは人間にするのではなく、この世界と私たちを創造された生ける真の神様にするのですものね。まだまだ幸いな結婚への要素はたくさんあるでしょう。特に人生の嵐を乗り越え生き抜く先輩たちの中に学ぶこともたくさんあることでしょう。

先日もSNSぱじゃぱじゃ日記に仲間のNさんがが書いてくださいましたが、結婚式10日前に中止となったカップルがあったとのことです。迷いながら進んでしまって大きな後悔に、、、と言う前でよかったのかもしれません。私も学生時代、親しい友が、婚約指輪を交換しながら一方的に婚約解消を言い渡されて、深く悲しみ傷つき、共に祈りましたが本当に幸せそうな彼女の姿を思うと言葉になりませんでした。また、突然の交通事故で婚約者の方が召されるということも起こりました。「いったいこれからどうしたらよいのか、、、」と悩む色々なことが起こりますね。困っている時身近な信頼できる方々に相談することも大切ですし、微笑みホットラインもありますからお電話くださいね(第2木曜日午後5-6時)。

今日も救い主キリストをいただいて祈りながら、あなたもあなただけの幸いな一本の道を見つけてください。一人で生きるにしても二人であったとしても。  くまだなみこ