2016年6月28日(火) 小さな朗読会202「燃える炉」(「母と子の聖書旧約下」101-102章)

 わたしたちは、むかし、バビロン帝国の時代に生きていなかったことを、感謝すべきかもしれません。
 今日では、わたしたちの国でも、西洋のたいていの国でも、自分が正しいと思う宗教を自由に信じることがゆるされています。ところが、ネブカデネザルの時代には、王は、自分の信じる神に祈ることを、自分の民に強制できたのです。
 バビロンに捕えられていたのは、ユダヤ人だけではありません。ネブカデネザルは多くの国から人々を自分の首都に連れてきていました。これらの人はみな、それぞれの神を信じていました。
 王はどの国にもその神がいるので、ヘブル人の主なる神は、強い神のひとりにすぎないと考えていました。王自身は、一つの偶像を拝み、これが世界で自分をいちばん強い王にしてくれた、と思っていました。
 ネブカデネザルは、あのふしぎな夢を見たさい、イスラエルの神について、何かを学びとりましたが、やはりまだ異教徒でした。彼は、ヘブル人の神の偉大さを知りましたが、主が唯一のまことの神であることは、まだわかっていませんでした。

 神さまを忘れたために捕えられたユダヤ人は、まわりの人々のように、喜んで偶像を拝んだことだろうと、わたしたちには考えられます。ところがおもしろいことに、よその国に連れて来られてみると、彼らには、偶像礼拝がどんなにくだらないものか、わかってきました。自分たちの宗教のほうがずっと大切に思えてきました。
 預言者エレミヤは、70年の捕囚ののち、自分の国に帰される、といいました。これはユダヤ人にとってたいそう慰めでした。彼らは、自分たちも子供たちも神さまを忘れないように、自分たちの宗教を保つことに心をくばるようになりました。

 ところが、ユダヤ人にとって、自分たちの神が拝みにくくなる出来事が起こりました。ネブカデネザルは、自分の拝んでいる偶像が、自分に世界を征服させてくれた、と信じていましたから、感謝をあらわすため、王は職人にこの神のすばらしい金の像をつくらせたのです。像はたいへん大きく、巾は3メートル近くもありました。そして、何キロも離れていても見えるように、王はそれを平野に立てました。太陽が昇ると、像は、さんさんと輝きました。
 ネブカデネザル王は、もし征服された国々がみなこの像を拝めば、自分の神が喜ぶと思いました。そこで、王のたてた像の落成式にバビロン帝国の諸州の官史はみなくるようにという布告をだしました。
 伝令者がラッパをもってでていきました。彼は、「人々よ、あなたがたにこう命じられる。もろもろの楽器の音を聞くときは、ひれふして、ネブカデネザル王のたてた金の像を拝まなければならない。拝まないものは、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」と、大声で叫びました。
 人々は、もし従わなければ、王は容赦なく、そのとおり実行することを知っていました。そこで、もろもろの楽器の音を聞いたとき、彼らは伏して、像を拝みました。

 何人かの知者が、王のところにきていいました。「王よ、とこしえに生きながらえられますように。あなたは命令をだして、もろもろの楽器の音を聞くときには、金の像を拝まなければいけない。だれでもひれふして拝まない者はみな、火の燃える炉の中に投げ込まれる、といわれました。
 ここにあなたが任命して、バビロン州の事務をつかさどらせているユダヤ人、シャデラク、メシャク、アベデネゴがおります。王よ、この人々はあなたを尊ばず、あなたの神々にもつかえず、あなたのたてられた金の像も拝もうとしません。」
 今まで、王の命令に反した者はだれもいませんでした。民は自分たちのいのちを恐れて、王のどんなささいな願いもかなえました。それでネブカデネザルは、これらユダヤ人の態度に驚きました。その怒りと憤りのあまり、彼は、そのユダヤ人を連れてくるよう家来たちに命じました。
 3人の友が大王のまえにつれてこられると、ネブカデネザルは、「シャデラク、メシャク、アベデネゴよ、あなたがたがわたしの神につかえず、わたしのたてた金の像を拝まないというのは、本当なのか」とたずねました。
 彼らがそれを否定しないので、王はさらに続けて、「もう一度、機会をあげよう。あなたがたが、わたしのたてた像をただちに拝むならば、それでよろしい、しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉に投げ込まれる。そこからあなたがたを救うほど、あなたがたの神は強くない」といいました。
 3人は勇敢に、「ネブカデネザルよ、このことについて、おこたえする必要はありません。わたしたちの神は、わたしたちを救ってくださいます。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたのたてた金の像を拝みません。たとえ、わたしたちの神が火からわたしたちを救いだされなくても、あなたの金の像を拝みません」とこたえました。
 このこたえに王は怒り心頭に発し、その顔はきびしく、にがにがしくなりました。その憤りのあまり、炉をいつもより7倍も熱くするように命じました。
 軍隊のなかのいちばん強く大きい兵隊たちがきて、3人を縛り、燃える炉に投げ入れました。王が炉を7倍も熱くするように命じたため、燃えさかる炎は、兵隊たちの衣服にもえうつり、兵隊たちは焼け死にました。
 まえにも、この炉には人々が投げ込まれています。これは、王がこらしめたい人を焼き殺すためにつくられたもので、王が外から、中で焼け死ぬ人々を見られるようにできていました。
 ネブカデネザルは、シャデラク、メシャク、アベデネゴが炉に投げ入れられるのを見ていました。ところがまもなく、炎のなかで、びっくりする光景を見ました。彼は知者たちに、「われわれはあの火のなかに3人、投げ入れたのではないか」とたずねました。
 彼らは、「王よ、おおせのとおりです」とこたえました。
 王は「しかし、わたしは見るには、4人がなわにしばられずに火のなかを歩いている。しかもなんの害も傷もうけていない。第四の者は神ではないか」と驚いて叫びました。
 王は炉の入り口にいって、「シャデラク、メシャク、アベデネゴ、でてきなさい。あなたがたはいと高き神のしもべであることがわかった」と、大声で呼びました。
 そこで、三人は、炉からでてきました。つかさや知者たちがまわりに集まってきましたが、彼らが害を受けた形跡はありません。その髪もこげていなければ、衣服も焼けていません。焼けたにおいさえまったくありませんでした。
 王は、「シャデラク、メシャク、アベデネゴの神はほむべきかな。神はその使者をつかわして、自分により頼むしもべらを救った。彼らは、主以外の神を拝むよりは、自分の身をも捨てようとした」と感嘆しました。
 そこで王は、この神に対して、だれもののしってはいけない。国じゅうどこでも、この神を尊ばなければいけない、と命じました。このような奇蹟をなすことのできる神は、ほかにいないからであると王はいいました。
 自分たちの神が、燃える炉の中においてもご自身のしもべたちを守ることができるのを見て、捕えられていたユダヤ人たちはどう思ったことでしょう。彼らは、異教の偶像が無力であるのに反し、自分たちの神は強いことを知りました。
 異教徒の多くも、ヘブル人の神を尊ぶようになりました。

 さて、ここで、聖書の中でもひじょうにかわった章を取り上げましょう。かわっているというのは、それがバビロン王によって書かれたものだからです。そうです。あのむかしの王ネブカデネザルによって、ほんとうに書かれたものです。
 神さまは書くべき言葉を王の心に与えられました。そうです。神さまは聖書のすべての著者に霊感を与え、何を書けばよいのかを教えられたのです。神さまはすばらしいことをされたので、ネブカデネザルは、それを全世界に告げたかったのです。

 ある日、ネブカデネザルは、宮殿で休息をとっているとき、こわくなるような夢か幻を見ました。その夢があまり気がかりなので、彼は知者をみな自分のもとに呼び集めました。彼らにその意味がわかるかもしれないと思ったからです。
 知者たちは集まりましたが、夢の意味がわかりませんでした。みんなのあとで、ダニエルが入ってきましたので、王はダニエルにその夢を話しました。
 ネブカデネザルは、地の真中にたいへん高い木を見ました。それは大きく成長し、その頂点は天に届き、全世界から見えるほどでした。
 その葉も青く、実も十分になったので、みんなに足りるだけの食物を供給しました。野の獣はそのかげにいこい、空の鳥はその枝に住みました。
 「すると、ひとりの警護者が天から下り、声高く『この木を切り倒し、その枝を切り払い、その葉をゆり落とし、その実を散らしなさい。ただし、その根の切り株を地に残し、それに鉄と青銅のなわをかけて、野のやわらかい草のなかにおき、天からくだる露にぬれさせなさい。またその心は変わって人間の心のようでなく、獣の心が与えられて、七つのときを過ごさせなさい。この決定は聖者たちの言葉によるもので、いと高き者が、人間の国を治めて、自分の意のままにこれを人に与えることを、すべての者に知らせるためである。』と言った。」このようにネブカデネザルは、ダニエルに夢の話を続けました。
 このふしぎな夢の話を聞いて、ダニエルはがく然としました。夢の意味がわかったからです。それは、これから大王に起こることを預言したものですが、その預言があまりにもなげかわしいものなので、ダニエルは王に告げる勇気がありませんでした。彼は王の前に、ひとこともいわないで、だまって立っていました。
 やがて、ダニエルの顔色をうかがっていた王は、ダニエルにその意味がわかったことを知りました。そこでやさしく「ベルテシャザルよ、あなたは恐れないで、その夢の意味をわたしに告げなさい。」といいました。
 ダニエルは、「わが主よ、この夢があなたを憎む者にかかわるのなら、よろしいのに。 この解き明かしがあなたの敵に臨めばよろしいのに。 あなたが見られた木、すなわち強く高く成長し、天にまで達して、全世界から見え、美しい葉と、多くの身を結び、獣たちにかげを与えたこの木、これは王よ、あなたです。あなたの主権は地の果てにまでおよぶのです。あなたはひとりの警護者が天からおりて『この木を切り倒せ。ただしその根の切り株を地に残し、野のやわらかい草のなかにおき、天からの露にぬれさせなさい。七つのときの過ぎるまで、野の獣とともに住まわせなさい。』というのを聞かれました。
 王よ、その解き明かしはこうです。あなたは人から追われ、野の獣とともに住まなければなりません。7年間、あなたは牛のように草を食い、天からくだる露にぬれるでしょう。ついにあなたは、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままに、これを人に与えられることを知るに至るでしょう。」
 このいやなニュースを王に告げるのをダニエルがはばかったのも無理はありません。
 しかし、王に慰めとなることが一つありました。ダニエルは王に、「夢の中で聖者は、木の根の切り株を残しおけと命じましたが、これは、あなたが国を確保される意味です。神がまことの支配者であるということを知ったのち、国はあなたにもどされます。」ということができました。

 夢が実現するまでに、まる1年たちました。ある日、王が宮殿を歩き、素晴らしいバビロンの町をみながら「この大いなるバビロンは、わたしの大いなる力をもって建てた王城であって、わが威光を輝かすものではないか」と、ひとりごとをいいました。
 この高慢な言葉を口にしたとたん、天から「ネブカデネザル王よ。国はあなたを離れ去った」という声がしました。
 同時に、彼の高慢にたいする罰がくだりました。彼は急に気が狂い、そのため城にいた貴族たちは、人里から遠く、野に彼を追いやりました。彼は牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれ、その毛はわしの羽のように、そのつめは、鳥のつめのようになりました。
 ネブカデネザルのこのあわれな状態は7年もの長い間続きました。「こうしてその期間が満ちたあと、 わたしは目をあげて天を仰ぎ見ると、わたしの理性が自分に返ったので、 わたしはいと高き者をほめ、その永遠に生ける者を賛美し、あがめた。その国は世々かぎりなく、彼のみが治め、そのなすことはすべて正しい」とネブカデネザルは書いています。
 ネブカデネザルは、正気にもどってから1年くらい生き長らえました。ふたたび彼はそのすばらしい王国を治めましたが、二度と「この大いなるバビロンは私の建てたものだ」とはいいませんでした。彼は神さまを賛美しました。その心はすっかりかえられ、彼は主を礼拝するようになりました。
 ネブカデネザルは、地下のすべての人のために、その手紙を書きました。王さまの偉大さを語っているその声は、聖書の一部となって、わたしたちにも伝わっています。