2009年1月24日(土)マタイ8章 病を癒すキリスト


夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った。」(マタイ8:16-17)

 主イエスは、救い主として、多くの病人をいやされました。主イエスは、病気のゆえの肉体の痛みをも心に留めてくださいます。私たちは、病の痛みを通しても、キリストに結ばれていきます。

 ところで、弟子のマタイは、主イエスのいやしの御業を、イザヤ書53章の預言の成就として紹介しています。マタイは、この聖句を引用することによって、主イエスの十字架の死を思い巡らしています。

 主イエスの十字架刑は、汚れた者を罰する、恐るべき神の裁きでした。私たちは、神の怒りに値する罪人です。私たちの病を担ってくださった主イエスは、私たちの罪を負ってくださったキリストです。ここに、いやしの記事の中心メッセージがあります。

 私たちは、病による痛みや苦しみを耐えながら、十字架の主の御苦しみを思い巡らします。そのなかで、信仰は、深みを増し、復活の希望へと引き上げられます。希望のない苦しみは、絶望です。しかし、キリストに希望を持つ者は、病の中にあっても、絶望から解放されています。