2009年2月4日(水)コヘレト6章 長寿にまさる命を


たとえ、千年の長寿を二度繰り返したとしても、幸福でなかったなら、何になろう。すべてのものは同じひとつの所に行くのだから。(コヘレト6:6)

 かつては若死にする人が多くて、一年でも長く生きることは幸運だと思われていました。しかし、今では、人生のターミナル(終着駅)は混沌としています。長生きは幸福か。いまやその答えは否定的であるかのようです。

 長く生きれば、肉体の衰えは避けられず、記憶力や判断力も衰え、人の世話がなければ生きていけません。加齢にともなう不安は、本人にも周りの人にも深刻な問題です。「千年の長寿を二度繰り返したとしても……何になろう」とコヘレトは語ります。善く生きることこそが大切です。

 では、充実した人生とは何でしょうか。たとえ短命に終わっても、空しくはない、満ち足りた人生であったと言えるには、何が必要なのでしょう。その答えをもたないまま、「長寿が必ずしも幸いと言えない」と語っても無意味ではないでしょうか。

 長生きにまさるまことの命とは何か。イエス・キリスト以外の誰が、この切実な問いに答えてくれるでしょうか。ためらわず、真剣に、キリストの声に耳を傾けましょう。キリストと共に命の光に歩みましょう。