2009年4月10日(金)マルコ15章21〜41節 見捨てられた主


三時にイエスは大声で叫ばれた。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」
これは、
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
という意味である。(マルコ15:34)

 あるとき、求道者会でこの御言葉を読みました。すると女子学生が「なぜ、イエス様ともあろうお方が、こんな惨めなことを語ったんでしょう」と言いました。彼女は、主が勇敢に殉教者のように死なれたのだと思い込んでいたようです。

 主は、人であればだれでも経験する肉体の死に、十字架において直面されました。しかし、主イエスの十字架の死は、単なる肉体の死ではありません。ここで、主イエスが直面しておられたのは、実は、人類の罪に対する神の裁きとしての死です。このとき、主イエスは、十字架において、父から裁かれ、呪われ、見捨てられたのです。

 なぜ、罪なきお方が、神に見捨てられたのでしょうか。パウロは説きました。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」(2コリ5章21節)。主の苦しみの叫びは、私たちの罪を背負っての叫びでした。この苦しみによって、私たちは神から決して見捨てられることがない者とされたのです。