2009年5月17日(日)詩編18編 神の他に我らの岩はない


主は命の神。
わたしの岩をたたえよ。(詩編18:47)

 岩、砦、逃れ場、大岩と、どれもダビデがサウルの手から逃れる間にさまよった地景に則した表現です。ユダの地域は天然の要害も多く、身を隠す場所には事欠きません。隠れ場所に身を寄せながら、ダビデはそれを喩えとして用います。つまり、自然が彼を守っているように見えますが、実際は神が守ってくださっているのを、彼は知っていました。

 そうした経験を思い起こして、神を岩、砦、逃れ場と呼びます。ダビデは歴戦の勇士でしたが、サウル王や息子アブサロムの前では逃亡者でした。そんな惨めな経験もまた、救いの神を知る上ではむしろ有益なことでした。負けを知らずにおごり高ぶれば、神を失いかねません。しかし、負けて死の淵をさまよいながら、かえって神への信頼を築くに至ることもあるのです。

 救いを経験することは、そこに御言葉の確かさを見ることでもあります。救いの歴史は、絵に描いた物語ではなく、信じる誰もが生きるべき物語として用意されています。私たちも自分の救いをここに見て、これをわたしの歌とすることができます。