2009年5月19日(火)エゼキエル19章 悲しみの歌


また、若枝の茂る太い枝から火が出て、実を焼き尽くした。それゆえ、この木には支配者の杖となる強い枝はなくなった。この歌は悲しみの歌。悲しみの歌としてうたわれた。(エゼキエル19:14)

 19章は、国家の滅亡や人の死のときなどに歌われた悲しみと嘆きの歌です。全体に哀切なトーンが続きます。ユダの民は、悲しみのなかで悲しみの歌を歌い続けてきました。

 前半の喩えでは、<お前の母=雌獅子=ユダ〉、〈獅子たち=バビロンやエジプトなどの強大な国々〉、〈子獅子=若獅子=ユダ王国末期の王たち〉が表されています。ある子獅子はエジプトに、最後の子獅子はバビロンに、連れて行かれます。後者は、捕囚となったユダ王国最後の王ゼデキヤのことです。紀元前586年、バビロン軍によって、エルサレムの町と神殿は破壊され、ダビデの王国は滅びました。旧約時代の最暗黒のときです。後半は、ユダを豊かな実を結ぶぶどうの木に喩えていますが、そのユダはひとときの繁栄のなかでおごり高ぶり、滅ぼされます。

 しかし、その焼かれた木の「株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどま」(イザ11章1〜2節)ります。神の御業は不思議です。神は、悲しみの歌を希望の調べへと転調して、歌わせてくださいます。