2009年6月25日(木)1ヨハネ4章 愛するとは


「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。(1ヨハネ4:20)

 たとえ「神を愛している」と言っていても、もし、兄弟を憎むならば、それは偽り者だと言われています。なぜなら、人は心の内にあるものが外に出てくるものだからです。一方で愛し、他方で憎むということであるならば、それは自己矛盾です。

 ところで、神と人を愛するためには、自分をいとおしく愛していなければなりません。なぜなら、自分をさげすみ憎んでいる人は、他者を大切にしないからです。自己愛といっても、自分を中心に据え、自分を喜ばせるものではありません。神から離れた自我愛は禁じられています。ここで求められているのは、自分で自分を愛する以上に、神が自分を愛しておられることを知り、神の愛が注がれている自分を、正当に評価することです。

 ヨハネは、「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」(19節)と言っています。どれほど神が「まず」わたしたちを愛してくださったかを感謝して受けとめましょう。その喜びは、神だけでなく、「兄弟をも愛す」という広がりに解き放たれます。