2009年6月29日(月)創世記33章 信仰の勝利の記念


ヤコブは、天幕を張った土地の一部を、シケムの父ハモルの息子たちから百ケシタで買い取り、そこに祭壇を建てて、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。(創世記33:19-20)

 神は赦してくださっても、人は生涯ゆるしてくれないということがあります。神に罪を赦された信仰者であっても、人を恐れ、生涯頭が上がらなかったり、恥じ入って過ごさなければならないかもしれません。恐ろしくても、詫びるべきは詫び、償うべきは償わねばなりません。しかし、今さら償うことの出来ない罪もあります。神に赦されたからといって、高慢になってはいけません。

 ヤコブは、兄エサウを恐れ、最大級の礼儀、丁寧さ、そして警戒心をもって近づきました。しかし、エサウは、昔のことはすっかり水に流したかのように、弟を迎えました。

 ヤコブは、人生の悩みの元から解放され、罪の咎めの長い苦しみから救われました。そして、ついにカナンの地に入り、そこに土地を買って、神のゆるしと祝福の記念として祭壇を築き、供え物を捧げました。

 私たちも、生涯において、神の救い、祝福、契約の成就など、恵みの記念を一里塚のように築きましょう。記念として覚え続け、救いの確かさを確認しつつ、家族や人々にも証ししながら生きていきたいものです。