2009年6月30日(火)創世記34章 暴力に正当な理由はない


「困ったことをしてくれたものだ。わたしはこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。」(創世記34:30)

 シメオンとレビが行った殺戮は、動機は家族愛ですが、騙して、殺して、略奪したことは、計画的で卑怯な過剰報復です。この乱暴は、大きな逆報復を生む可能性を宿しています。ですから、ヤコブは、「困ったことをしてくれたものだ」と嘆き、また、死ぬ前にも「呪われよ」(49章5〜7節)と彼らを憤っています。

 ところで、レビは、やがて、主の憐れみによって神礼拝を直接担う役割を与えられます。また、忘れてはならないのは、このシケムは、「エル・エロヘ・イスラエル」(33章20節)と呼ばれ、イスラエルの神のものであったということです。この報復が、イスラエルの純潔を守るものとして用いられたのも事実です。

 しかし、レビが赦されたからと言って、ここから、今日的な意味での暴力使用を決して正当化してはなりません。正義を旗印にしていても、怒りにまかせた振る舞いは、多くの場合、救いと愛と平和を生み出すことなく、かえって福音宣教の道を閉ざしてしまいます。純潔さを保つ熱心と、周りの人との正しい関係を保つ知恵と、その両者を祈り求めましょう。