2009年9月7日(月)エゼキエル37章 生き返って自分の足で立つ


わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。(エゼキエル37:10)

 「自立」する、また「自律」する、これは人間が求める一つの目標です。自立とは、経済的に独立する自活のことではありません。自分が一個の人間として主体的に立つということです。また、自律とは、自分自身を律する規範を持つということです。

 エゼキエルは、真の自立や自律が何によるのかを語っています。誰も自分一人だけでは、自立することも自分を律することもできません。神との正しい関係を取り戻し、交わりの中に置かれてはじめて、自分で立つことが可能となります。その時にこそ、自分で考え、行動する「自律」した人間となることができるのです。

 エゼキエルは、かつて「自分の足で立て」(2章1節)と命じられ、預言の言葉を語り始めました。神の言葉により立たせていただいた彼は、今や、イスラエルの民を神の御前に立たせようとしています。霊が枯れた骨に入ると、骨に肉と皮膚が付き、生き返って立ち上がります。神の言葉が語られると、霊的に死せる者でも、神との交わりの中で新たな命を与えられ、教会という新しい自律した集団が立ち上がっていくのです。