2009年10月6日(火)士師8章 最後まで主に仕える


ギデオンはそれを用いてエフォドを作り、自分の町オフラに置いた。すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり、それはギデオンとその一族にとって罠となった。(士師8:27)

 イスラエルを救った勇者ギデオンですが、その後、どうなったでしょうか。そこに見るのは、金に執着し、戦利品で神像(エフォド)を作り、人々に偶像礼拝の罪を犯させ、さらに家庭生活も乱れていたギデオンです。これは彼の偉大な生涯における小さな傷に過ぎないことでしょうか。そうとは言えません。信仰そのものが問われるのです。

 このようなギデオンの姿からは、「晩節を汚す」という言葉が浮かんできます。それまで労苦して真摯に歩み、人びとからも信頼されていたのに、晩年に自らの言動でその信頼を裏切ってしまうのです。偶像礼拝を許容するとき、人生が崩れていきます。旧約聖書の明確な教えです。

 私たちは、信仰をもって、終わりまで走り抜きたいと思います。自分や他の何かに執着するなら、それは不可能です。ただ神に依り頼むことです。詩編の作者は祈り求めました。「わたしが老いて白髪になっても、神よ、どうか捨て去らないでください」(詩71編18節)。主の助けに頼りつつ、晩節を全うできますように、心から祈り求めましょう。