2009年11月6日(金)マルコ16章 喜び、ここにはじまる


「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。」(マルコ16:6)

 人びとが皆、主イエスを見捨てて逃げ去ってしまうなか、最後まで主に従ったのは婦人たちです。十字架での死を見守り、悲しみに暮れながらも、主の御体に香料を塗るために墓に向かいます。亡くなった後も、主を愛し抜きたかったからです。

 墓に行ってみると、思いがけないことに、墓石は動かされ、そこにいるはずの主はおられませんでした。天使から主が復活されたことを聞かされても、喜ぶことができず、恐れと沈黙に捕らわれたのです。人は死で終わりだと思っているからです。いろいろなことが不確かな中で、確かなのは最後に自分を待つ死だけだと思い込んでいるからです。けれども、その終点が揺らぎました。

 恐れと虚しさを呑み込むように、いつまでも鳴り響く声があります。「驚くことはない。あの方は復活なさって、ここにはおられない。」本当の喜びは、自分の中からは始まりません。罪と死に勝利された方への賛美の歌声を聴くことから生まれます。そしてあなたも今、主の復活を喜び歌う者とされています。イエス・キリストは甦られました! ハレルヤ。