2009年11月13日(金)1テモテ3章 生ける神の教会に仕える


「監督の職を求める人がいれば、その人は良い仕事を望んでいる。」…更に、監督は、教会以外の人々からも良い評判を得ている人でなければなりません。(1テモテ3:1-7)

 3章には「監督」「奉仕者たち」という言葉が出てきます。私たちの教会では「教師・長老」「執事」に当たると理解してよいでしょう。監督は指導者という意味です。指導者に求められる徳あるいは品性が列挙されています。大切なのは三つです。

 第一に「節制し、分別があり」といわれていることです。指導者に求められていることは「自らを制すること」です。自制心を失っては、主の共同体を建てることはできません。

 第二は「自分の家庭をよく治め」ることです。家庭を円満に保ち、妻と子供たちに尊敬され、自らも家族を愛することです。小さな教会としての家庭生活での霊的統治の訓練です。

 第三は「信仰に入って間もない人ではいけません。」信仰の経験がある程度長くなければなりません。人はなかなか謙遜になれないからです。人は回りからほめられたり持ち上げられたりすると、すぐ傲慢になります。

 さらに付加すれば「教会以外の人々からも良い評判を得ている人」が望ましいのです。教会の内外からその良識が信頼され、尊敬を受けるような指導者が求められています。