2009年11月14日(土)1テモテ4章 キリスト・イエスの立派な奉仕者


これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。(1テモテ4:6)

 パウロは、伝道者テモテが教会の「立派な奉仕者」に成長するよう、こまやかな配慮をもって語り続けます。特に指導者となる人たちの「信心」について注意を向けようとしています(7節)。指導者の霊的成長が、教会を育てる重要な要因であることをパウロは見逃していないからです。

 信心とは「敬虔」「信仰深さ」のことです。「信心のために自分を鍛えなさい」は、文語訳では「自ら敬虔を修行せよ」と訳されています。神を畏れ、訓練を怠らないことです。訓練は、日々、御言葉と向き合い、「俗悪で愚にもつかない作り話」(7節)に惑わされない自己形成を目指します。

 信仰生活において神を畏れることはとても大切なことです。それは、目に見えない神を見ているかのように生きることです。また敬虔という言葉には神の御前に喜ばれるという意味があります。敬虔は、自分を神の御前に置き続ける生活です。

 「キリスト・イエスの立派な奉仕者」になる道は、「信仰の言葉」「善い教えの言葉」に養われる道です。教会を生かし支えるまことの教えに、私たち自身を委ねましょう。