2009年11月17日(火)ホセア5章 災いは何のために


わたしは立ち去り、自分の場所に
戻っていよう。
彼らが罪を認めて、
わたしを尋ね求め
苦しみの中で、
わたしを捜し求めるまで。(ホセア5:15)

 神は時に私たちを戒め、私たちの罪に対してさまざまな災いを下されることがあります。イスラエルの民は、自分が蒔いた種によって苦難を味わっています。しかしその苦難は、同時に神による「懲らしめ」(2、9節)でもあります。神の懲らしめを受け、そこから何を学び取っているか。それがここで問われています。

 罪を重ねたイスラエルに対して、神は裁きを下します。ホセア書5章の背景は、イザヤ書7章と同様、ユダ対イスラエル・アラム連合軍との戦争です。この戦争で、神は北イスラエルだけでなく南ユダ王国にも災いを送られるのです。

 その時、神は「立ち去り」、民を離れ去ります。しかし、それは神が民を見捨てるからではありません。立ち去った神は、民が尋ね求めてくるのを待っておられます。ちょうど放蕩息子の父親がずっと息子の帰りを待っていたように。神は、その民が自分の罪を認め、尋ね求めて、ついに神を見いだすことを待ち続けておられます。そのために「自分の場所に戻っていよう」と決意されるのです。これ以上、神を待たせてはなりません。