2009年12月22日(火)黙示録3章 戸をたたくイエス


「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙示録3:20)

 子どもたちの降誕劇で必ず登場するのは、宿屋の主人です。ヨセフが宿屋の戸をノックし、主人に泊めてくれるように願うと、「きょうは、いっぱいだよ」、「駄目だよ」などとつぎつぎに断られてしまう、あの場面です。聖書にも「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」(ルカ2章7節)と記されています。

 あわせて思い起こすのは「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている」という御言葉です。しかしなぜ、主イエスは戸をノックされるのでしょうか。復活された主イエスは鍵をかけた部屋に入られたではありませんか。なぜここでも同じことをなさらないのでしょうか。

 「人の心の扉には外側には取っ手がない」と言った人がいます。主は、私たちを機械のようにではなく、神に造られた人間として重んじられます。だから私たちの心の扉をたたかれます。勝手に入ってきて、私たちを驚かせたり、怖がらせたりはなさいません。私たちと愛の交わりを持つことを願われます。ですから、今日あなたの心の扉を開いて、愛する主を迎え入れてください。