2009年12月31日(木)コヘレト3章 終わりの時に、始まりの備えを


何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時植える時、植えたものを抜く時(コヘレト3:1-2)

 一年に始めがあるように、終わりも必ずやって来ます。コヘレトの言葉は、3章1節から8節まで、人生のいろいろな局面の始めと終わりについて記しています。

 聖書は、特に終わりについて、「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(へブ9章27節)と語っています。生涯の終わりが、神の御前での総決算と結び合わされています。このことを知るがゆえに、キリストの贖いへの感謝の念が、深まります。

 このように、自分の死、また、終わりを見つめて歩むことが出来るのは、クリスチャンの特権でしょう。中世の修道院では、合い言葉のようにいつも「死を見つめて生きよ」と言い交わしたと伝えられています。終わりを受けとめるからこそ、今の生の大切さが身に染みます。

 来年がどのような年になるのか、誰にも分かりません。しかし、どんな試練が襲ってきても、主に在って生きる者にとっては、コヘレトを苦しめた「人生の空しさ」が新しい年を覆い尽くすことはありません。御前に鎮まり、始まりに備えましょう。