2010年1月29日(金)フィリピ2章 キリストの低さに倣う


キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。(フィリピ2:6-7)

 この社会では、人よりも高い地位や身分、富を手に入れた人を成功者と呼びます。そこでは、競争に勝つことが優先され、他人のことよりも自分のことが優先されます。

 しかし、聖書はそのような生き方、価値観とは正反対のことを教えています。パウロは、「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(3、4節)と語ります。

 この教えの根底には、キリストの低さがあります。イエス・キリストは神の御子であり、世のすべての権威の上にあるお方です。そのお方が、人間を愛し、私たちを救うために僕の身分となって、この世に来てくださいました。この世の低さの極みにまでお降りになり、他者のために生きてくださいました。

 キリストを信じた私たちも、他者のために生きる人生へと招かれています。キリストが仕えてくださったことを感謝して、他者に豊かに仕えることができるように、キリストを模範とし、その低さに倣いましょう。