2010年3月21日(日)詩編53編 神がいないでほしいと願う世界


神を知らぬ者は心に言う
「神などない」と。
人々は腐敗している。
忌むべき行いをする。
善を行う者はいない。(詩編53:2)

 「神を知らぬ者」とは、「ナバル」という語です。サムエル記上25章に登場する裕福なナバルは、ダビデの恩義を理解できぬ、まさに愚か者でした。富があっても、神への感謝がない多くのナバルが今もいるのではないでしょうか。

 そのような愚かさは、人の道を踏み外した道徳的退廃に、必ず通じていきます。「神はいない」という嘲りは、忌むべき行いをしても裁かれないという願望の表明です。しかし、神は天から見つめ、「善を行う者はひとりもいない」と嘆いておられます。神の嘆きは、地にあって聞き取る者は僅かであったとしても、嘆き給う神がおられることを表しています。

 「神はいない」とうそぶく声は、実は、神が「いる」と都合の悪い者たちの遠吠えです。「神など恐れるものか」と豪語しても、本心では絶対者の審判に怯えています。内心怯えながらも、「神はいないでいてほしい」と願うところに、人間の堕落の深刻さがあります。しかし、神はその深刻さを直視し、嘆くだけでなく、救いの御手を差し伸べてくださいます。これが、私たちの希望です。