2010年5月22日(土)ヨハネ15章 何でも願いなさい


「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あながたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)

 ぶどうの枝は、ぶどうの木から離れては生きていけないひとつの命です。木から離れて実を結ばない枝は、農夫である天の父によって取り除かれます。それゆえ主イエスは「わたしにつながっていなさい」(4節)と呼びかけておられます。つながるとは、愛の交わりのなかに生きることであり、「わたしの愛にとどまりなさい」(9節)ということでもあります。

 また主イエスは、私たちにこう語りかけてもくださいます。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた」(同)。御父が御子を愛されたのと同じ深い愛で、主は私たちを愛してくださいます。ですから、小さく弱い枝である私たちも、命と恵みのぶどうの木である主イエスにつながっている、と確信してよいのです。

 主は、さらに、大きな約束も与えておられます。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」(7節)。どうか私たちにもその実を結ばせてください。真実な愛のうちに生きるという実を。