2010年8月1日(日)詩編63編 礼拝において起こること


あなたを待って、わたしのからだは
渇ききった大地のように衰え
水のない地のように渇き果てています。
今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み
あなたの力と栄えを見ています。
あなたの慈しみは命にもまさる恵み。
わたしの唇はあなたをほめたたえます。(詩編63:2-4)

 詩人は、この詩の冒頭で、神への飢え渇きを、すさまじい言葉であらわしています。詩人は、大きな危険に出会い、ようやく「聖所」にたどり着いて祈ろうとします。体も魂も疲れ果ててしまっています。

 その彼を支えているのは、「聖所」における礼拝体験です(3節)。彼は、霊の目を開かれ、共におられる神に気付きます。不安のただ中にあっても、神が「力と栄え」を確かに備えておられるのを見るのです。心の目を開かれた詩人は、恐れと苦悩のなかでも、「満ち足り」ることを知りました(6節)。

 彼を取り巻く状況は変わらなくても、魂が満ち足りることによって、詩人は光をすでに見ています。神の慈しみを、「命にもまさる恵み」と告白する信仰は、私たちの心を強く打ちます。神との豊かな交わりが(7〜9節)、人生を切り開くのです。

 「信仰者が、欠乏から倦み疲れ、暴虐に苦しめられ、病のもとに呻吟し、飢え渇き、多くの悩みと不安に苦しもうとも…神が保護者であられる以上、私たちは完全に幸せなのです」(カルヴァン『詩編注解』)。