2010年8月19日(木)ルカ1章(2) わたしは老人です


そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」(ルカ1:18)

 ザカリアとエリサベトは、非の打ちどころのない信仰の人生を生きて(6節)、静かに誠実に晩年を迎えていました。そのザカリアに、エリサベトが男の子を産む、という驚くべき主の言葉が告げられます。生まれる子は、民の心を主に向けさせ、救い主の来訪を備える働きに命を献げるのです。

 ところが、ザカリアは、この「喜ばしい知らせ」を受け入れることを、「老人です」の一言で回避しようとしました。老人とは何でしょう。年を重ねると、人は人生を総括しようとします。それは確かに、大切な作業ですが、ときとしては、まだある先への期待感が薄れ、霊的なやわらかさを失いそうになることがあります。このような「老人性」は、年齢的に若い人にもあるのではないでしょうか。

 にわかに信じられなかったザカリアを責めることはできません。ザカリアは10ヶ月の沈黙という代償を払って、主の御旨を学び直しました。私たちは老人であることを理由に、主の召しを拒んではなりません。予想を超える主の介入が始まるとき、主の召しを従順に受け入れる信仰者は幸いです。