2010年9月25日(土)ルカ15章 放蕩の悪者でなく、生き返った者


「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(ルカ15:32)

 ルカ15章は最初から最後まで、一人の人の悔い改めがもたらす喜びがテーマです。放蕩息子のたとえのなかで、同じ肉親が帰ってきたのを迎えるのに、兄と父とではその態度がまったく対照的です。兄は弟が戻ってきたことを喜べません。それは、弟のことを放蕩三昧の悪者としか見ていないからです。それに対し父は、「弟は死んでいたのに生き返った」と受け止めて喜びます。

 迷子になるのは、その人の行動に問題があったからかもしれません。しかし、大切な人が迷子になり、このままでは死んでしまうとなれば、まずは見つけ出すことに全力を注ぐでしょう。

 私たちも自分の罪により神から離れてさまよっていました。放蕩息子と同様に「あなたの子と呼ばれる資格はありません」と言うしかありません。しかし、父なる神はご自分のもとへ立ち帰る私たちを決して退けたりはしません。それどころか、立ち帰る前から私たちを探し出し、戻ってくる私たちを喜んで迎えてくださるのです。