2010年9月30日(木)ルカ16章 不正にまみれた富への忠実


ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。(ルカ16:10-11)

 主イエスは、「不正な管理人のたとえ」で、管理人の「抜け目のないやり方」(8節)をほめ、「不正にまみれた富で友達を作りなさい」(9節)と勧めます。ここでいう「不正にまみれた富」というのは、「この世の富」のことです。また、「ごく小さな事」も、「この世の富」を指しています。

 自分に与えられた富や財産をいかに用いるか、がここで問われています。「不正にまみれた富」だからという一見神妙な理由をつけ、この世の務めを軽んじることは、ひとり子を十字架につけるまでにこの世を愛される主の御心に忠実でないことと同じです。たとえそれが、「不正にまみれた富」であったとしても、主への忠実さが、その用い方にあらわれています。

 ですから、この世の富に対してすら忠実でない者に、「本当に価値あるもの」を任せることができるだろうか、と続きます。信仰の事柄と富の管理を切り離すことはできません。小さい富を忠実に管理し、福音の大きな価値ある御業に励みましょう。