2010年10月29日(金)ローマ4章 不信心な者を救う神


聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。(ローマ4:3-5)

 私たちは、みな不信心な者たちです。しかし、何も肩を落とす必要はありません。私たちが信じている神は、不信心な者を救うことができるお方です。

 私たちは、できる限り信心深くありたいと願います。けれども、どんなに信心深い人であっても、大きな壁にぶつかり、その信仰が揺らいでしまうことがあるのです。私たちの人生は、順風満帆なときばかりではありません。

 また、もし、神の判断基準が、「信心深さ」にあるならば、私たちは「常に信心深くあらねば!」というプレッシャーの中で生き続けなければなりません。そこには本当の喜びや平安はありません。

 しかし、私たちが義と認められるのは、全く神からの一方的な恵みです。主を信じる信仰は、私たちの信心深さではなく、神が賜物としてくださるものです。「不信心な者を義とされる方を信じる」これが、私たちの信仰です。ですから、私たちは、自分たちの不信仰にも失望しません。ここに私たちの希望があります。