2011年1月12日(水)イザヤ5章 よい実りを待つ神


さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。(イザヤ5:3-4)

 神はユダとエルサレムを愛して、よく耕されたぶどう畑のように、世話をしておられます。エルサレムを中心とした土地に、ユダの民を植え付け、ここで御心に適う神の民を育てようとされたのです。真実かつ切実な選びの愛が、このぶどう畑に向けられています。

 神の選びには、選ばれた者の責任が伴います。それは交換条件ではありません。選びは、世に向かう愛のしるしです。世界を神の国へと育てるご計画に、民が参加し献身することは、選びの愛への感謝の応答です。

 しかし、よく世話された畑が結んだ実は「酸っぱいぶどう」です。神の正義は裏切られ、流血と叫びが地を満たしています。このぶどう畑を見捨てる、と神は宣言されます(6節)。選びの民が、滅びの危機に直面しています。よい実りをもたらす道はないのでしょうか。

 一つだけ残されています。まことのぶどうの木である御子イエスが打ち立てる十字架の道です。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハ15章5節)。